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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > ブックレビュー(12) 寺田寅彦『柿の種』岩波文庫 (技術経営、科学技術政策/永田晃也)

ブックレビュー(12) 寺田寅彦『柿の種』岩波文庫

永田晃也 技術経営、科学技術政策

19/10/08

今回は、寺田寅彦の『柿の種』という岩波文庫版の短文集を紹介したいと思います。この本は一見ビジネスとは何の関係もないように思われるでしょうから、ここで紹介することに多少躊躇いはあったのです。しかし、この本の内容は私たちのものの見方、考え方に新しい窓を開いてくれる清々しい視点や着想に満ち溢れていて、それは困難な課題に直面しているひとたちを解決に導く糸口にもなるのではないかと思われるので、私は経営に関わる方々が是非、座右に置かれることをお薦めしたいのです。

作者の寺田寅彦は、1878年(明治11年)に東京で生まれましたが、熊本の第五高等学校で学んでおり、そこで英語教師として赴任していた夏目漱石の教えを受け、以後、漱石との交流は生涯に亘るものとなっています。五校卒業後、寅彦は東京帝国大学の理科に進学し、1903年には同大学を首席で卒業して大学院に進学し、翌年、講師に就任しています。この頃の寅彦が、漱石の『吾輩は猫である』に登場する水島寒月のモデルとなったことはよく知られています。

物理学者としての寅彦は、X線を用いた解析実験などの領域で業績を上げ、1916年には東京帝国大学教授に就任しますが、1935年(昭和10年)、57歳で病没しました。この間、寅彦は吉村冬彦という筆名で何冊かの句集を刊行し、また多くの随筆を残しました。随筆集は、岩波文庫版だけで全5冊に及びますが、ここで紹介する『柿の種』は、随筆集とは別に、俳句雑誌などに掲載された短文を集録して編まれたものです。1つ1つの文章は大抵、1頁か2頁の大変短いものなので、僅かな時間があれば、いつでも何処からでも読むことができます。

さて、その内容ですが、ほとんどの文章は日常生活の中での、ふとした感想や印象をスケッチしたものです。ただ、そこに様々な事象に対する非常に豊かな感受性や、深い洞察力を垣間見ることができるのです。

例えば、自然現象に関するいかにも科学者らしい洞察を窺わせる文章があります。寅彦と言えば、「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を残した人として思い出す方もいるかも知れません。この言葉通りの文は寅彦の書き残した文章の中には見出されていないのですが、日頃よくそのような発言をしていたことが知られています。この本の中にも、こういう一文があります。震災や風水害に関する科学的知識や、これに対する平生の心得を小学校の教科書に入れることが必要なのは、問題にならぬほど明白なことであるのに、これがいっこうに実行されないので時々問題になるのだと。そして、小学生を教える前にまず文部省を教育しなければならないのかも知れないと言っています。
科学者としての寅彦が深い洞察力に恵まれた人であったことは、この他、油絵を描くときに各部分を実物どおりに描くことが出来ても、全体はさっぱり実物らしくならないという感想を述べた一文にも窺えます。これは、後に流行した一般システム論の命題を先取りしたような見方です。

しかし、ものの見方を変えるということについて、私が特に多くを教えられるのは、何気ない印象を手掛かりに対象の見方が変わった経験を寅彦が記した文章からです。例えば、大学の構内を歩いていて、病院の方から子どもをおぶって出て来た男をみたときの印象を記した文章があります。近づいてみると、男の顔は何かの皮膚病による疣で一面に覆われていて、「見るもおぞましく、身の毛がよだつよう」であったと記した後、寅彦は次のように書いています。


 背中の子供は、やっと三つか四つのかわいい女の子であったが、世にもうららかな顔をして、この恐ろしい男の背にすがっていた。
 そうして、「おとうちゃん」と呼びかけては、何かしら片言で話している。
 そのなつかしそうな声を聞いたときに、私は、急に何ものかが胸の中で溶けて流れるような心持ちがした。


 
この時、寅彦の胸の中で溶けて流れたものというのは、無論、まず男の外見のみに喚起された恐怖というネガティブな反応だったでしょう。それが流れ去ったのは、ひとつには不幸な病に冒されながらも子供を慈しむ優しい家庭人としての男の一面を瞬時に見ることができたからであり、また背中の女の子のうららかな様子が病に冒された外見の印象など人間の本質とは無関係であることを教えていたからでしょう。

それにしても、この「うららかな」という表現といい、「すがっていた」「なつかしそうな」という表現といい、何と美しい言葉の選び方でしょうか。ここには文学者としての寺田寅彦の非凡な才能を窺うことができます。

今回のまとめ: この本は、私たちのものの見方や考え方に新しい窓を開いてくれる短文集です。

分野: イノベーションマネジメント |スピーカー: 永田晃也

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