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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > イギリスの歴史(56):ブレアの時代 (英文法理論、コンピュータによる英語教育/鈴木右文)

イギリスの歴史(56):ブレアの時代

鈴木右文 英文法理論、コンピュータによる英語教育

19/08/13

イギリスの歴史シリーズで、現代に近づいて各首相の時代を見てきましたが、サッチャー首相、メージャー首相と保守党の2人の後、本日はトニー・ブレアの話です。

メージャー首相はサッチャー首相と違って非常に穏健派で、EUにもアメリカにもどちらつかず、国内の政治でもそういうところがあり、最後は勢いが落ちかけたところをドドッと左右両派から愛想を尽かされる形で崩れていきました。その崩れていった時にスッと入ってきたのが労働党のブレア首相の時代になります。

ブレア首相は颯爽と登場した、と言っておきましょう、彼が首相になった時はまだ40代半ばで若かったのです。ちなみにイギリスで最年少の首相は、小ピットという人が20代前半という記録があります。イギリスは前から言っている通り、考えられないことがおこる国で、王様が2人いる時代があったり、英語を喋ることができない王様がいたりしました。

ブレアは97年に首相になりますが、そこから10年ちょっと2007年まで在職しており、これも非常に長い在職期間でした。当時のことを覚えている方は、トニー・ブレアの時代って結構長かったなという印象をお持ちだと思いますが、首相になる3年ほど前の1994年に労働党の党首になっており、その時から労働党の改革をしていました。どういうことかというと、今まで二大政党で保守党と労働党とあれば、右と左、片方は完全な資本主義で、片方は社会主義的なところがあるということでしたが、ガチガチの社会主義で何でも国有化という印象を振りまいていてはこの先の労働党はないぞ、という風に考えたわけです。それで大胆な改革をして、もっと皆に親しみを持ってもらえるようにしようということで、色々な事をしました。例えば資本主義は反対すべきものであるという風には必ずしも言わない、生産手段の国有化といういわゆる社会主義で絶対やらないといけないことですが、これもやりませんでした。前の労働党時代、第二次世界大戦の直後は鉄道その他の国有化を行いましたが、それはやらないということを言ったわけです。

それで彼が党首をやっている時代にはだんだん労働党の気運が上昇してきていたという背景もあり、メージャー首相が落ちてきたところでスパッと入れ替わったという形になります。その時の勝ち方はすごいです。1997年のいわゆる首相に指名される前の選挙で、下院は当時659議席ありましたが、労働党はなんと418、保守党はなんと165、ダブルスコア以上で、2.5倍くらいでした。これは当時の空気をよく出していると思いますが、労働党の支持者達は相当喜んでいたでしょう。圧倒的に労働党が強かったということです。二つの議席を足しても659にはなりませんので、幾つか小さい政党もあるわけですが、まだ二大政党の時代だったのです。

このブレア首相という人はエリート階級の出身で、オックスフォード出身で弁護士になり、そこから政界入りしていて、いわゆるエリート中のエリートです。国会議員になったのが30歳。労働党党首になったのが1994年、41歳の時です。非常に若い時から活躍されている方ですけれども、結局彼の行った政策が当たっていわゆる中産階級の人達の取り込みに成功して、これだけの大勝を果たしたということになります。

彼の一番大きな功績として取り上げられるのが、北アイルランドの問題、いわゆるテロの問題です。サッチャー首相も寸前の所で爆殺されるかというようなテロもあったくらいですので、これが上手くいったというのは大きな功績だったと思います。常に緊張していなければいけない国内情勢だったものがガラッと変わったのです。それがベルファスト合意と言い、IRAと手打ちをしたということで、1998年のことです。ですから首相になって真っ先に取り組んだ事と言えるかと思います。

そして景気の拡大も続きまして、順風満帆と言ってもいいんでしょうか、10年ちょっとに亘る在職期間が安定的に始まったわけです。ところが彼もやっぱり躓いてしまいます。いわゆる対テロ戦争、アフガニスタンやイラクの問題ですが、彼を応援している人もこの当時に意外に思った方が多いと思います。つまり労働党というと左寄りで、平和主義者で、軍事的なことは強硬なことは言わない、というイメージがあったはずですけれど、対テロ戦争の時は、サッチャーの時代みたいに積極的にアメリカと組んでいます。絶対これはなんとかしないといけないのだと言って、他の国はともかくイギリスはアメリカと一緒に行くというような、強硬な姿勢に出ました。それはなんかカラーがおかしいよ、というところがやはり国内的にもあって、傾きの始まりだったと見る人が多いと思います。イラクも大量破壊兵器は持っていなかったということになっていて、アメリカでも色々と問題になっています。ブレア首相が当時どういう言い訳をしていたか忘れましたが、これがきっかけで結局失敗しました。イギリスの国内にもかえってテロが蔓延するようになったという逆の効果を生んでしまったというところが皮肉です。ロンドンでバスのテロがあったのを覚えている方もいらっしゃると思います。そこでブレア政権は弱体化を迎えて、次のゴードン・ブラウン政権へということになっていったわけです。

今日のまとめ:
メージャー首相の後、労働党にスイッチして始まったトニー・ブレア氏の首相の時代ですが、最初は非常に順風満帆でしたが、最後は対テロ戦争の躓きで最後を迎えて次の時代へとなりました。

分野: 異文化コミュニケーション |スピーカー: 鈴木右文

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