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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > イギリスの歴史(51):中東問題 (英文法理論、コンピュータによる英語教育/鈴木右文)

イギリスの歴史(51):中東問題

鈴木右文 英文法理論、コンピュータによる英語教育

19/01/09

今日はイギリスの歴史シリーズです。今日で51回目になります。物凄い分量です。今日はイギリスが関わったことで紛糾したともいえる中東問題です。私達、地理的にも遠いことがあり、文化的にも遠いことがあるので、中々詳しく知ることがないところです。私自身も中々遠い存在です。

この問題の中核にはパレスチナという土地があります。ここは大昔、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の聖地で、最初から多重性を持っていたので、それを何処が取るかということが争いの種になっていました。そこを支配した人達は色々いて、ローマが支配していたり、エジプトが支配していたりした時代もありました。話はごく近代の話ですが、16世紀から1900年代に入って少しまでオスマントルコ領でした。
トルコは、第一次世界大戦ではドイツと一緒の同盟国側です。イギリスやフランスは連合国側で分かれて戦っていました。ご存知の通り、連合国側が有利に戦いを進めて最後は勝ちますが、オスマントルコが持っていたこのパレスチナの地をどうするかということを連合国側が考えた時に、密約のようなものですが、サイクス・ピコ協定というものがあります。これが1916年のことです。このパレスチナの地は特別な地域にしようと、例えばロシアがとることやフランスがとることではないという協定だったはずです。しかし、イギリスが1917年、翌年に、有名なバルフォア宣言というものがあります。バルフォアとは、当時のイギリスの外務大臣の名前です。何を言ったかというと連合国側でここは特殊な地域として残し、何処かが取ることではないとしたにも関わらず、ここにはユダヤ人は入ってきていいという話を始めました。その狙いとしてはユダヤ人が国を持たないとしてもとても力のある民族なので、連合国側に是非引き寄せたいという気持ちがあったということと、イギリスがこの地域の中に進出していく足がかりになるのではないかと期待していたようです。
しかし、これがやはり元々この地にいた、今はパレスチナ人と言われる人たちを追い出すような話になるので、当然嫌だという人達がでます。ここから争いが起きてくるということになります。当時は、世界史をやった人は懐かしいと思いますが、ユダヤの方々が国を作るという運動をシオニズム運動と言います。それに対してパレスチナの方々も自分達もきちんと国を持つという形で、アラブの方もナショナリズムの運動があって、それをかき回してしまったというような形になります。
1920年のことですが、事実上この地がイギリスの支配下に入ります。その後、ご存知の通り、第二次世界大戦にいたるまでの間でナチスドイツをはじめとしてヨーロッパでユダヤ人の方々が迫害を受けるという流れがあります。イスラエルはまだ出来てませんが、この地に国が出来るのであれば、そっちへ行こうということで、あちこちで、この地へ、パレスチナの地へ、ユダヤ人の方々が移動を始めました。その方々が住み始めることが起きました。その流れの中で、イギリスの支配ではなくてこれは国際的にいこうということで、戦前の国際連盟がイギリスに委任統治にするというようなステータスを与えました。イギリスだけが勝手に行うのではなく、国連の監督の元でという形になりましたが、それでも全然治まらず、第二次世界大戦の後には、とうとうパレスチナの方々とユダヤの方々が戦争を始めるようなことになってしまいました。イギリスは実はもう第二次世界大戦でかなり戦費を使って疲弊していまして、ご存知の通り、アメリカが世界のナンバー1に躍り出ましたので、イギリスとしてはこの地で軍事的な政治的なプレゼンスを保っておくことが中々余裕がなくなってきました。何か多分手を引きたいなと思っていたと思いますが、そうなると当然争っている人たち同士が更に凄絶に争います。
これはいけないということで1947年、国連、今度は国際連合になりますが、これがパレスチナの地はアラブの人達の国とユダヤの人達の国を分けて作って、そしてエルサレムの地は元々色んな人達が関わっていたので、これは国連が管理するという形を目標に掲げました。しかし、それをユダヤの方々は認めましたが、アラブ側の方々は認めず、それが戦争にまたなっていったというような流れがあります。結局、西側世界がどう手を入れても収まらなかったということになり、その後第一次から第二次、第三次と中東戦争というのが起きます。その中でイギリスはいつの間にか手を引いて、ごめんなさいねと言いながら、スーッと退場していったということになりまして「後始末をちゃんとせんかい」と言われたものでした。結局、1948年にイギリスは国連に委任統治権を返して「後はよろしく」ということになったという話を今日はしました。

今日のまとめです。パレスチナの地に関して色気を出したイギリスが介入してきたが、第二次世界大戦後、結局アメリカに地位を奪われてその地を治める余裕がなくなって手を引きました。その後、大変なことになったという裏歴史、黒歴史です。

分野: 異文化コミュニケーション |スピーカー: 鈴木右文

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