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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > ブックレビュー(6) 渋沢栄一『論語と算盤』角川ソフィア文庫 (技術経営、科学技術政策/永田晃也)

ブックレビュー(6) 渋沢栄一『論語と算盤』角川ソフィア文庫

永田晃也 技術経営、科学技術政策

18/12/05

今回のまとめ:『論語と算盤』は、道徳経済合一説と呼ばれる渋沢栄一の経営思想が語られた談話録です。

 前回に引き続き渋沢栄一の著作を紹介します。今回は、渋沢の経営思想に関する談話録である『論語と算盤』を取り上げます。この書物の初版は昭和2年に刊行されていますが、今日でも角川ソフィア文庫などで読むことができます。ビジネス・スクールでは「企業倫理」等の科目で、よく参考文献として読まれることのある本です。
 渋沢栄一という人が、農家に生まれながら徳川慶喜の家臣となり、維新後は大蔵省の官職に就いたものの、これを辞して後、民間人として500以上もの企業の設立に関わり、「日本資本主義の父」と呼ばれる人物であるということを前回お話しました。渋沢が予算編成をめぐって大蔵卿であった大久保利通と対立し、上司・井上馨とともに官職を辞したのは明治6年でしたが、そのとき、渋沢の友人の中には「君も遠からず長官になれる、大臣になれる。お互いに官にあって国のために尽くすべき身だ。しかるに賤しむべき金銭に眼が眩み、官を去って商人になるとは実に呆れる」といってしきりに辞職を引き止めた人があったそうです。この言葉の中には、商売によって利益を求める仕事を低くみる当時の価値観が如実に現れています。しかし、それでは国を支える産業というものが成り立たない訳ですから、これに対して渋沢は「官が高いとか、人爵が高いとかいうことは、そう尊いものではない。人間の勤むべき尊い仕事は到る処にある」と言って友人を説きつけ、それから『論語』の教えを基準として一生商売をやってみようと決心したと振り返っています。

 この談話録の中で、渋沢は仁義道徳と利益を求めることとは決して相反するものではないということを繰り返し説いています。例えば次のような箇所です。
「孟子は、利殖と仁義道徳とは一致するものであるといった。その後の学者が、この両者を引き離してしまった。仁義をなせば富貴に遠く、富貴なれば仁義に遠ざかるものとしてしまった。-商人も卑屈に流れ、儲け主義一点張りとなった。これがために経済界の進歩は幾十年、幾百年遅れたか分からぬ。-利殖と仁義の道とは一致するものであることを知らせたい。私は論語と十露盤とをもって指導しているつもりである。」
 公正な商売を営んで利益が得られたとすれば、それは誰かに価値をもたらし、誰かに喜ばれた結果に違いないのですから、利益を求めることと仁義道徳とが一致するのは当然のことなのです。しかし、今日でも利益を求める行為自体をどこか卑しむような社会通念がないとは言えません。その意味で、渋沢が『論語』を武器に闘った相手は、私たちの前にも現に立ちはだかっている訳です。

 さて、このように近代日本の経済的な基盤を作る上で偉大な足跡を残した渋沢の経営思想は『論語』に立脚していたのですが、それは渋沢が完全無欠な人格者であったことを意味しているのではなく、むしろ非常に人間臭い一面もあり、例えば女性に関しては倫理的な弱みを口にすることがあったそうです。
 渋沢が『論語』を経営思想の根幹とした理由については、それが最も瑕疵がない―つまり誤りがないものと思ったからだと自ら述べていますし、幼少の頃から親しんでいたことも背景にあったからだろうと推測されますが、この点について渋沢の半生を描いた城山三郎さんの『雄気堂々』という小説は少々皮肉なエピソードを伝えています。渋沢は最初の妻・千代を病で失った後、兼子という女性を後添えに迎えましたが、この婦人は晩年、よく子供たちに「お父さんも論語とはうまいものを見つけなさったよ。あれが聖書だったら、てんで守れっこないものね」と呟いていたというのです。この呟きは、『論語』には女性に関する戒めがないことを指摘しているという訳です。
 渋沢は生涯に亘って『論語』を愛し、その教えを拠り所にしましたが、彼自身は『論語』の主人公のような聖人君子ではなく、人間的な矛盾を抱えた存在でした。しかし、そのような矛盾に対して非常に自覚的な人間だったからこそ、近代初期の激動の時代に、尊王攘夷思想を奉じる立場から幕臣へ、幕臣から明治政府の用人へ、政府の用人から民間の事業家へと大きく立場を変えながら、その時代の要請に応える事跡を残すことができたのではないでしょうか。その当時の標準的な儒教思想では相容れないと見られていた『論語』の教えと商売による利殖の追及とを結び付ける発想にも、そうした渋沢の生き様が見事に反映されているように思われます。

分野: イノベーションマネジメント |スピーカー: 永田晃也

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