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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > イギリスの歴史(46)戦後の体制(2) (英文法理論、コンピュータによる英語教育/鈴木右文)

イギリスの歴史(46)戦後の体制(2)

鈴木右文 英文法理論、コンピュータによる英語教育

18/05/22

イギリスの歴史シリーズです。前回から戦後の体制という話をしています。その続きになります。今日は世の中が戦後どのような形になっていったかという話を色々な分野についてみますが、まず学校の話をしようと思っています。

日本では所謂6・3・3制といわれますが、もっと向こうでは複雑です。現在だと6と5で義務教育、その上にプラス2が加わって、そこに行った人たちの中から大学に進む人たちがいるという感じです。ついでに前にも歴史の中でお話しましたが、イギリスは4大地域に分かれていて大学が何年制かが違っています。イングランドは3年制、スコットランドは4年制であるとかです。今日はその時間ではないので細かいことは言いませんが、大学は日本と少し違います。大まかに初等・中等・高等教育というような区分けはあります。その中等教育の途中までが義務教育です。日本と同じです。日本も中学校までが義務教育で高校に行くと、高校というけど中等教育の上の方です。そこは義務ではないけど多くの人は行きます。向こうでもだいたいそのような感じです。

戦後、まず初等教育というのは、これは戦後というか厳密には戦争が終わる前のことですが、プライマリースクールという制度が始まりました。細かい事は僕も専門家ではないのでわからない部分も多いですが、俗にアメリカでは小学校はエレメンタリースクール(elementary school)、イギリスでは小学校はプライマリースクール(primary school)と言います。向こうに行って町の中を歩いていてもたしかにプライマリースクールと書いてありますが、プライマリースクールという名前で始まったのはこの時代です。5歳から6年間となっています。その後の中等教育が大きく変わりました。それまでの時代は本当にエリートしか行かないというところがありましたが、この時代にエリートが行くところと普通の人が行くところと手に職を付ける人が行くところに分けたタイプの中等学校を戦後に作りました。これは最後には別の形でまとまりますが、その3つが分かれたものを紹介したいと思います。

まず、グラマースクール(grammar school)、聞いたことありませんか。これは先ほど、5年+2年という中等教育の話をしましたが、7年制として発足しました。最初から7年ということは、大学進学を目指すことを前提にした人たちを入れるところです。しかも公立です。私立としてはパブリックスクール(public school)というのがあり、よく言われることは私立なのにパブリックはおかしいという話をしますが、昔からパブリックと呼ばれていて、その公立学校版みたいなものを目指して作られたのがグラマースクールといいます。だいたい、あまり良い言い方ではありませんが、成績で並べると上位2~3割の生徒が入ってくるようなところでした。その当時は、小学校は上がると学力テストをやって、それで進路を振り分けたということだそうです。もう1つはセカンダリーモダンスクール(Secondary Modern School)というものがあります。このセカンダリーは中等教育、セカンダリーエデュケーションの中等ですけど、こちらは大学進学というよりはもう少し実践的な科目を重視した一般的な中学校です。だいたい5年位の就業年限のところが多かったと言われています。そして第3のカテゴリーとしては、技術系です。そちらはテクニカルスクール(technical school)そのままです。技術系学校ということで、技術系の科目を中心にした学校です。この3種類が発足しました。

それぞれに合ったものを作ったつもりでしょうが、時代の中で公立学校はこれでいいのという疑問の声があったようです。その後時代は少し下りまして1964年、コンプリヘンシブスクール(comprehensive school)、総合制中学校と訳せばいいかと思います。色々なものをみんなまとめて一般的な事をやりましょうという形のものが7年制として出てきて、別に試験の結果上位だから下位だからということと関係なく、皆一緒に行きましょうという学校制度が1964年にできました。ただ、前の3つがスパッとそこで切れてしまったのではなくて、残るところもあったようなんですが、ほぼ無くなりました。細々としか残りませんでしたという形になったそうです。今はコンプリヘンシブスクールに行く生徒さん、パブリックスクールに行く生徒さんということで、私立と公立でエリートのコースを進む人そうではない人に事実上分かれてはいると思いますが、政府の関係者であなたは公立の学校の出身者という人もいますが、非常に偉い人もいて、あまり関係なくなってきている気はします。いい事だと思います。以上が教育の制度です。

ここで1つの話だけだともったいないので、少し経済の話をして次へ繋げたいと思います。50年代に回復してきたという話をしたと思いますが、60年代くらいまではなんとかいっていました。ところが60年代70年代にかけて段々ツケが回ってきて、失業やインフレが出てきて、非常にストライキが流行った世の中になりました。日本でもこの時代にゼネラルストライキというのが流行って、僕も鉄道がストライキになって、国鉄が一週間列車が動かなくて、線路の上を歩いたなんていうのを覚えています。そのような時代になってからの話をまた後でということで、頭出しだけさせて頂きます。

今日のまとめです。今日は学校制度がどのように戦後はなったのかという話をして、最後は64年のコンプリヘンシブスクールが出来たという中等学校の話でまとめました。そして経済が段々おかしくなってきて、ストライキ等が流行ってきた時代になって、その先また展開があるという頭出しをさせていただきました。

分野: 異文化コミュニケーション |スピーカー: 鈴木右文

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