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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > イギリスの歴史(38) 19世紀(6) (英文法理論、コンピュータによる英語教育/鈴木右文)

イギリスの歴史(38) 19世紀(6)

鈴木右文 英文法理論、コンピュータによる英語教育

17/08/23

イギリスの歴史シリーズでは19世紀の話をしています。19世紀初頭が混乱の時代だったというところから始まりました。そのあとビクトリア女王の安定期に入り、植民地もたくさん持っていてという話をしてきましたが、前回はインドの話でした。今回も同じ外の世界の話ですが、スエズ運河をめぐっての話です。みなさん、スエズ運河はご存知でしょう。

実際にスエズ運河を通ってみたという人はなかなかいないと思います。旅客輸送ではなく、主に貨物が通る所なので当然通ってみたことはないと思いますが、全部通ると10数時間かかるそうです。みなさんはスエズ運河の通行料金をご存知でしょうか。

船の大きさにもよると思いますが、日本円になおすと1隻通るだけで、数千万単位だという話を聞いたことがあります。それでもケープタウンを経由して行くよりも安く済むので通るのですよね。

この数千万単位の通行料に関しては、現在は会社が担っているはずです。そこの会社がどこと繋がっているかという話はまた色々あると思うのですが。ここを通るのは非常に利益があるという事が分かっていたので、イギリスはここに目を付けました。昔は地形的にここに運河が掘れればよかったなということは分かっていたらしいのですが、今でいう運河の両端の海の高さが違うからダメなのではないか、などと色々な事が危惧されていたようです。しかし、こうした色々な条件をクリアしてこれはいけるぞという話になったようです。ところがこのスエズ運河をイギリスが支配していたという事は有名ですが、実際建築したのはフランスです。アメリカ大陸、その他でもフランスとイギリスはぶつかったことがよくあります。最初、イギリスはどうもここに運河を作ろうという話にはならなかったようで、鉄道を代わりに敷いて荷物の詰め替えをした方がいいと見ていたようです。運河だと思っていたフランスがさっさと作ってしまった形になったようですが、もちろんイギリスとしては出来てしまえば、ここに船を通せば利益が上がるということが分かったので、ここを何とか手に入れたいという話になります。結果としてどうなったかと言うと、スエズ運河を動かす会社というのがあって、そこの株を買って影響力を行使するということを途中から始めました。これは19世紀の終わり頃の話ですが、そうなると筆頭株主は大体どこの会社でもかなりの影響力を持つものなので、株主と言われる人が大きな会社や大きな国だったりすると大変な影響力を行使することが可能になります。こうなってくるとスエズ運河に関してもイギリスの思惑で動くようになり、最終的には運河の管理権というものを握り、よその国の土地なのにひどいと思いますが、そこに軍隊を駐留させることまで行います。

そのあと20世紀に入るとスエズ運河をめぐって色々な危機が起こったことがあるのは有名だと思います。その話はあまりしないだろうと思いますが、これは20世紀の話ですがスエズ危機というのがありました。そのあとにイギリスからエジプト側に運営の実権が移るということが20世紀のある時期になって最終的には起こります。しかし、19世紀のこの時代は、言葉は悪いですが、イギリスが管理権を奪取して自分達でやりたいようにしましたというストーリーです。場所的にはスエズ運河は当然エジプトの中にあります。その意味でエジプトという国に対する重要視というのがイギリスにとってはありました。エジプトの南のナイル川の上流のほうにスーダンというところがあります。ここもエジプトの隣だからイギリスにとっては関心があったわけです。スーダンがイギリスに対して、あるいはエジプトに対して良くない動きをするとスエズ運河が芳しくない状態になるため、スーダンにもイギリスは関心がありました。そこでスーダンに攻め入ったり、小競り合いがたくさんありました。一番大きかったのはエジプト人に対する反乱がスーダンで起きて、その時にエジプト人の救出に際し、イギリスの軍隊が出動したという事件があります。一旦返り討ちに遭い、それをまた何とかしようとして泥沼状態になったりしました。そういう歴史もあったものですから、イギリスとスーダンは仲がいいわけではありません。しかし、その後もこの時代を経て第一次世界大戦とかになってもエジプトとスーダン、そしてスーダンとイギリスとの間で芳しくない関係がさらに発展するというようなことも一時ありました。今もエジプトとスーダンの地域というのは残念ながら安定しているとは言えない状態ですが、この時代からずっとと言ってもいいでしょう。そのきっかけを作ったのがイギリスと言えないわけでもありませんから、今から見ると反省しないといけないなという事の1つでしょう。

ところで、大英博物館にはエジプトの物がたくさんありますが、今回みてきた時代に持ってきた物が何%あるかと言われるとそこまでは分かりませんが、少し関係しているかもしれません。

それでは今日のまとめです。
スエズ運河がインドとの航路の上で重要だとみたイギリスがスエズ運河に目を付け、その関係でエジプトとスーダンに対しても目を付けることを19世紀になって始めたことについてお話しました。

分野: 異文化コミュニケーション |スピーカー: 鈴木右文

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