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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > キーワード(42) 死の谷 (技術経営、科学技術政策/永田晃也)

キーワード(42) 死の谷

永田晃也 技術経営、科学技術政策

17/07/05

 今回は「死の谷」という語を取り上げます。このシリーズでは、イノベーション・マネジメントに取り組む上で何らかの役に立つ概念を表すキーワードを紹介してきました。しかし、今回取り上げる「死の谷」という語は、現に広く用いられているのですが、概念的に問題があるので、その点に注意を促すために敢えて取り上げるものです。
 この語は、もともとValley of Deathという英語の日本語訳で、原語は1989年に米国の下院科学委員会が発表した"Unlocking Our Future"―「我らが未来の鍵を開く」という報告書の中で初めて用いられたものです。因みに米国にはDeath Valleyという地名が現存するため、それを原語と誤解されている向きもあるようです。この報告書は、米国の連邦政府は基礎研究に巨額の資金提供を行っているけれども、それが産業部門の応用研究やイノベーションに結びついていないという指摘を行っており、この両者の間にあるギャップを「死の谷」と表現したわけです。
 こうした問題意識が日本にも受け容れられ、大学や公的研究機関から企業への技術移転に取り組む政策担当者や実務家などの間で、「死の谷」という語は広く用いられるようになりました。さらに、日本では技術経営に関する研究者や実務家の間でも、企業内部で実施された研究の成果を事業化に結びつけるまでの難関を表す語として用いられるようになりました。
 ところで、研究成果をイノベーションに結び付けるまでの間に難関が横たわっているという問題の捉え方は、そもそもイノベーションを基礎研究に始まって、応用研究、開発、生産、販売・マーケティングに至る逐次的なプロセスとして把握する「リニアモデル」と呼ばれる理解枠組みに依拠しています。しかし、リニアモデルについて以前説明した際に申し上げたように、現実のイノベーション・プロセスは、そのように単純なものでないことが既に明らかにされています。無論、研究成果を事業化するまでの間には資金制約などが妨げになることがあり、そうした局面については「死の谷」という比喩表現はイメージの喚起力を持っています。しかし、研究とイノベーションの間に存在するギャップを、はじめから「死の谷」という比喩表現で定式化してしまうと、その問題を解決するためのアプローチは、研究の側からイノベーションの側へ「死の谷」を渡るというイメージに固定化されてしまいかねないのです。

 このような比喩表現のミスリードについては、米国の科学技術政策に詳しい児玉文雄教授も早くから指摘しているのですが、日本の政策担当者や技術経営の実務家は依然として「死の谷」という比喩表現を好んで用いる傾向があるようです。しかも、付録の用例まであります。
米国では、ハーバード大学のルイス・ブランスコムという名誉教授が2001年に行った講演の中で、「死の谷」という比喩がもたらす不毛なイメージを批判し、研究とイノベーションの間に存在するギャップを、多様な新しいアイデアが競争を通じて進化を遂げていく過程として捉え直して「ダーウィンの海」という比喩を用いることを提唱しました。つまり、「ダーウィンの海」という比喩は、「死の谷」が意味するギャップの存在を、別の側面から捉え直した表現なのですが、何故か日本の政策担当者や経営コンサルタントが作成した文書の中では、しばしば「ダーウィンの海」とは「死の谷」の次に待ち受けている別の関門として描かれています。この場合、もともと「ダーウィンの海」という比喩が含意していた自然淘汰は、他社との競争や顧客による取捨選択に当るものとされていることが多いようです。わざわざ比喩を用いる必要があるのでしょうか。
さらに、これは誰が言い出したことなのか確認できていませんが、「死の谷」の前に「魔の川」と言う関門を描いた図式も、しばしば見かけます。この場合、基礎研究と応用研究ないし開発段階までの間にある障害を「魔の川」、応用研究ないし開発段階以後の障害を「死の谷」と分けることが多いようです。
こうして「魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」と続くと、まるで何かのロール・プレイング・ゲームのようです。比喩的表現が持つイメージの喚起力には有用性もありますが、それが現実に存在する問題の性質を誤って理解させてしまう可能性には注意しておく必要があります。

今回のまとめ: 「死の谷」という語は、基礎研究を応用研究やイノベーションにつなげるプロセスに横たわる障害を意味するものとして頻繁に用いられていますが、この比喩表現はイノベーション・プロセスを捉え損ねています。

分野: イノベーションマネジメント |スピーカー: 永田晃也

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