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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > イギリスの歴史(33) 19世紀②初期の混乱 (英文法理論、コンピュータによる英語教育/鈴木右文)

イギリスの歴史(33) 19世紀②初期の混乱

鈴木右文 英文法理論、コンピュータによる英語教育

17/03/31

今日もイギリスの歴史シリーズを引き続きお話します。では、前回までの流れを確認しましょう。
前回から時代は19世紀に入り、概論の部分をお話しました。今回は19世紀の初めの頃の混乱期のお話をしていきます。ですが、まずは始めに少しだけ、19世紀はどのような時代に映っていたのでしょうか。外目には非常に派出な時代だったと思います。イギリスは当時、たくさんの植民地を持ち、経済活動、貿易が活発になっており、その一番の象徴が万国博覧会です。1851年に第一回の万国博覧会がロンドンで開かれました。その後ロンドンで何回か博覧会を開催していますが、その後のパリの方が有名な博覧会になりました。ですが、最初の万国博覧会の地はロンドンであり、当時世界の工場と言われ、イギリスも色々な物を生産して景気の良かった時代ではあります。その象徴としてビクトリア女王が立っていたのですが、彼女の統治は長く、1837年から1901年まででした。

ビクトリア女王の夫アルバート公が、ドイツの公国出身のだということを前回お話しましたが、この夫婦が仲が良いというのが非常に評判で、今で言うと王室ネタというところでしょうか、女王夫妻のことがこの頃からずいぶんと世の中で取りざたされています。その当時の話を私も探してみましたが、面白いと思ったのはクリスマスツリーの話です。クリスマスツリーは実はこの頃にアルバート公がドイツから輸入した習慣です。ですからイギリスの中世を描いたドラマで、その頃にクリスマスツリーが出てきたらそれは嘘だという話になりますよね。あとはちょっとしたエピソードですが、女王夫妻が豊かな家族の象徴という事です。だけどそれはあくまでもその人達がそうだっただけで、一般庶民があまねくみんなそうだったわけではありません。前回もお話しましたが、当時の産業革命が市井に様々な影を落としていました。産業革命の過程の中で機械化が進み、水力紡績機から機械の紡績機になったことやエンジンで動くものについて以前お話しましたが、産業革命の結果として、最初は労働力として農業革命で農業の担い手が要らなくなったぶん、工場に労働者が流れ込んできて人手の数がちょうど良くなりました。しかし、その後に機械化が進むと今度は人手がそれほどいらなくなり、失業する人がいっぱい出ました。その人達がどうなるのかということで社会的な不安が出始めたのがこの19世紀の初めの頃です。19世紀はそれを受け止めて何か改革しないといけないという動きになってきた時代でもあります。これに関してまずは穀物法の話をしましょう。1815年に作られた法律ですが、国内の穀物の生産業者を守るため、外国から入ってくる安い穀物をせき止めようとして関税をかけました。そうすると国内で穀物を使った製品、典型的なものとしてはパンがありますが、この値段が高騰します。安い輸入品をせき止めたから、パンの値段が上がるわけですね。そうすると庶民が困るわけですよ。パンはイギリスでは非常に安価で150円ほどでフルサイズ購入できます。日本的な感覚でいうと半額ぐらいで買えるので、パンさえあれば生き延びられるという、まさに庶民の味方なのですが、それが高くなったものですから当時の人達は大困りし、これに対して穀物法に関して政治家同士の間でも問題になります。その時に当時の2大政党のトーリー党とホイッグ党というのがあり、少し復習をすると、トーリー党というものは大昔、カトリックの王様が王位を継いでもいいといった政党で、とにかく王政を守るために様々なことをする王室よりです。もう1つのホイッグ党というのはカトリックは少し嫌ですといった党派で、必ずしも王様という制度を守るために何でもするというわけではなく、一般庶民や議会の人達を中心にしたい人の集まりです。王室寄りだったトーリー党の人達が穀物法を巡って何とかしないといけないという人と、これで押し通すという人達とで別れ、一部の人達がホイッグ党に流れていくなどして、それを契機に自由党が出来ました。それを受けてトーリー党を中心にして保守党というのが出来て、19世紀の2大政党体制がここで出来上がりました。そういったゴタゴタの中で結局のところ、穀物法が1846年に廃止に追い込まれ、30年近くこの問題は続きました。しかし、30年も続くとこれは庶民にとっては大変です。

政治家も振り回されましたが、これが1つの象徴で様々な分野について社会的な不安が出てきて、どうするのかという話が盛り上がった時代です。その中で、各地で庶民の反乱が色々と行われました。それがまた社会の不安定さを広めたという事はあります。それに対して政権の側も何とかしないといけない、社会の秩序を保たないといけないということで、1829年に大きな組織が出来ます。ロンドン警視庁というものですが、通称スコットランドヤードと呼ばれているもので、色々な歴史小説にこの名前は出てきていると思うのですが、当時のイギリスはそれまではなかなか社会の秩序を押さえられるような体制になっていませんでした。急速に社会の不安が出てきてしまったことにより、昔の牧歌的な時代とは違うものになりました。ロンドン警視庁についての細かい話を次回からしてみたいと思っています。

それでは今日のまとめです。
前回に引き続き、19世紀のイギリスについてお話してきました。19世紀は非常に栄華を誇ったイギリスでしたが、裏を返せば庶民が非常に社会不安の中に落とし込まれるというのが始まった時代でもありました。

分野: 異文化コミュニケーション |スピーカー: 鈴木右文

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