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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > イギリスの歴史(28):18世紀後半 (英文法理論、コンピュータによる英語教育/鈴木右文)

イギリスの歴史(28):18世紀後半

鈴木右文 英文法理論、コンピュータによる英語教育

16/06/14

今日は、「イギリスの歴史シリーズ」の28回目になります。今日は18世紀の終わりのお話です。
はじめに今までやってきたことを簡単に復習しましょう。今は王朝でいうと「ハノーヴァー朝」の時代です。王様の時代というのが「~朝」という名前になるのですが、実際にはこの時代の政治を動かしていたのは、プロの政治家の方々へと移っていきました。その初代の首相がウォルポールです。
これまでの時代では、イギリスとフランスが戦争をするかどうかなどあらゆることを王様が決めていて、いくらお金を使っても責任問題で糾弾されて議会が荒れるなどというようなことはあまりなかったわけですが、この時代からは首相が責任を問われるようになり、何か問題があれば2代目3代目と次の人に変わっていくというようなことが始まった時代でした。この後ウォルポールの後に、様々な人が首相になっていくわけです。イギリスの首相をすべて覚えているという人はなかなかいらっしゃらないかと思います。
その中でも比較的知名度が高い人物として、小ピットという人がいます。小ピットのしょうは小さいと書くんですね。これはなぜかというと、お父さんがウォルポールの政敵で、この方を大ピットと言います。どうして大小を付けるかというと、お父さんも息子さんも同じ名前でウィリアム=ピット(William Pitt)と言うため、大ピット小ピットと区別をしました。実はこの方は英国で最年少の24歳で首相になった人として有名です。

今日本で24歳の首相はありえないですよね。衆議院議員も25歳以上と規定があるわけですから物理的にも不可能ですね。彼は相当力を買われたことになります。彼はケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジの出身で、ざっくりとまとめるならば「政治の近代化」を行いました。様々な施策の合理化をしてみたり、様々な法的整備をしてみたりと、近代的な制度を整えていきました。また、政治的に保守的でもあり、制限を設けることは好まなかったため、関税を下げてその分輸出入が活発にするような政策をとったということがあります。しかし、やはり取るところからは取らないといけないので、彼が作った税金で一番世間的に有名なものに「窓課税」というものがあります。
窓の数の分だけ、金を出せということなんですね。これはつまり建物があるとその数の分だけ税金が増えるので、要するにお金もち、立派なところに住んでいる人は沢山税金を払う必要があるということです。わざわざ計測していたら面倒くさいですが、窓であればスッスッスッと何枚かすぐに数えられるため、このような税金の設定にしたわけです。ところがそれが決まったとたんに窓をふさぐお宅が続出し暗い中で過ごすというようなことが流行ってしまったようです。

もう1つ、この人を語る時になくてはならないのが、ナポレオンとの関係です。丁度フランス革命がおこり、ナポレオンが出てきた時代に立ち会っているのです。皆さんもよくご存じのとおり、フランス革命というのは王様が居なくなったわけですから、それがイギリスに来たら大変だということで、これをなんとか防ごうとしたのがイギリスの立場でした。彼もご多分に洩れず、ナポレオンの動きを制御しようと頑張りました。ナポレオンとの戦いの中で、世間の人々の耳に残っている名前の将軍が一人います。「ネルソン提督」という方をご存じありませんか。

格好いい逸話がいくつか残っておりますけれど、ナポレオンとの戦いで一番有名なのが、「トラファルガーの海戦」です。その名前を付けて、イギリスのロンドンのナショナル・ギャラリーという有名な美術館の前にトラファルガー広場というのがあり、そこに彼の銅像が建てられています。

少し話が脇にそれましたが、小ピットという人は24歳という若さながら様々な政策を行いました。18世紀のこの時代には、イングランド以外の他の地域でも様々な動きがあり、植民地が沢山できました。カナダやオーストラリア、ニュージーランドには多くの人々が移住しました。ここも様々な戦争の結果、イギリス領になったところが多いわけです。オーストラリア、ニュージーランドに至っては、クック船長という人が有名です。この方が見つけたので、イギリスに組み入れようということになりまして、植民地が増えました。インドも植民地と言えるかどうかは難しいですが、東インド会社という有名な会社が乗り込んで開拓し、その後事実上イギリスのものになっていきました。フランスなどは追い出して、結局海外の植民地はアメリカ等も含め、その多くをイギリスが牛耳るようになったという経過をたどっています。

では今日のまとめです。

18世紀の終わりは段々と政治が系統立てて行われるようになり、ナポレオンとの戦いがあり、世界に植民地が増えていった時代という風に、段々と大きくイギリスが動いてきた時代であるということが言えるかと思います。

分野: 異文化コミュニケーション |スピーカー: 鈴木右文

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