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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > イギリスの歴史(22):スチュアート朝(4) (英文法理論、コンピュータによる英語教育/鈴木右文)

イギリスの歴史(22):スチュアート朝(4)

鈴木右文 英文法理論、コンピュータによる英語教育

15/08/05

「イギリスの歴史のシリーズ」22回目の今日はスチュアート朝の最終回です。

スチュアート朝のこれまでの流れをもう一度おさらいしておきましょう。
 
スチュアート朝の前の時代は「テューダー朝」と言い、エリザベス1世がいたことで有名な時代です。
彼女は跡継ぎを残さなかったため、スコットランドの血縁の王様をイギリス王として迎えることになります。そうして始まったのが「スチュアート朝」です。この時代の特徴は、「王様の権力」と「議会の権力」がぶつかり合い、権力争いが繰り広げられた点にあります。そうした争いの中で王様は処刑され「王政の廃止」が行われ、オリバー・クロムウェルによる「共和制」が始まります。しかし、クロムウェルは独裁的な政治を行ったため、再び反乱が起き「王政復古」が行われることになるのです。しかしそこで新たに迎えられた王様は、議会にとっては目の敵ともいえるカトリック系の人だったため、何とかしようと画策している内に「名誉革命」が起きた、というのが前回までの流れでした。

議会の画策と言うのは、血縁関係を辿りよりまともな方を大陸から呼び寄せたというものでした。これにより、今までのカトリック系の王様は戦わずに逃げてしまい、血を一滴も流すことなく革命が起きたと言うことで「名誉革命」と呼ばれるようになりました。その時に呼ばれてきた人というのが、メアリ2世という女性でした。その夫が、後にウィリアム3世と呼ばれるようになるのですが、元の名前はオレンジ候ウィリアムと言います。イギリスの近代王朝であるノルマン朝が始まった時のノルマンディー公ウィリアムと間違える方が多いのですが、この方とは別人です。

メアリ2世とウィリアム3世の2人を呼んできたというのは実に興味深く、イギリスで初めての「共同統治」が行われた時代、王様が2人いた時代だったわけです。
こうして見てみるとイギリスはとても先進的な国だと思いませんか?女性が王様になったり、2人で国を治めてみたり、王様を敵国であるスコットランドから引っ張って来たり、共和制が始まったり、王様を処刑したり、と日本の天皇家の時代と比べても似ても似つかないですね。新しいことを次々と取り入れ、次第に「民主主義」的な文化が育まれていった国だといえます。

このように、「民主主義」が徐々に育ってきたわけなので、メアリ2世とウィリアム3世も好き勝手に政治を進められる立場ではなく、議会から楔を打ち込まれていたわけです。その時に文書として結ばされた契約が、世界史でもおなじみの「権利の宣言」や「権利の章典」と呼ばれるものです。「権利の宣言」というのは、最初に二人が受諾した文書で、その後の「権利の章典」がそれを具体化した法律ですので、ほぼ似たような内容と思って頂いて問題ありません。これは要するに、国家の最高権力というのは議会であり、王様ではないということを明確にしたという意味があります。これにより、王様は象徴的な存在となり、今日にまで続くイギリスの王室や政治の輪郭が作られた節目の時代でもあります。この後から、議会が始まり内閣が出来たり、後に総理大臣と言われるような人たちが出てくるような時代へと進んでいくわけです。

後の王様「アン」という女性の王様ですが、跡継ぎがいなかったため別のファミリーへと王様が移り、王朝の名前が変わります。次は「ハノーヴァー朝」という時代へと移ります。ここからは、また次回以降の話になりますが、アン女王の時代で忘れてはならないのはスコットランドの話です。長年敵対してきたことは皆さんご存じだと思いますが、この時代にスコットランドとイングランドが合併しまし、グレートブリテン王国という名前になります。
イングランドにしてみると、中でごたごたしている時にフランスとスコットランドという2つの敵国に挟まれては身動きがとれないため、早くスコットランドと手を打って抱き込みたいという思惑があったわけです。一方、スコットランドもスコットランドで、財政基盤がなかなかしっかりしないところがあったため、イングランドに助けて貰いながら共存共栄できるのであればその方が良いというように、両国の思惑がかみ合ったというわけなのです。

ここから次第にヨーロッパは戦争の時代へと突き進んでいきます。そこで戦争をするための資金が必要となり、「経済」が発達していきます。この時代に「イングランド銀行」という、日本で言う日銀にあたる銀行が国債を発行し、軍費を集めるなどして、ようやく近代的な経済の動きが見られるようになっていきます。

今日はスチュアート朝の終盤、名誉革命以降をみました。王様から議会へと権力が移った時代であるということ。そして経済的な動きが出てきてヨーロッパの中の戦争へ向かう時代になったということ。そしてアン女王に子供が出来なかったため次から王朝の名前が変わりますという事でまとめておきたいと思います。

分野: 異文化コミュニケーション |スピーカー: 鈴木右文

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