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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > イギリスの歴史(19): スチュアート朝(2) (英文法理論、コンピュータによる英語教育/鈴木右文)

イギリスの歴史(19): スチュアート朝(2)

鈴木右文 英文法理論、コンピュータによる英語教育

15/03/09

今日はスチュアート朝の続きになります。イギリスの歴史を細かく見ていくことによって、何か皆さんの教養やビジネスにつながることがあればと思いながらお話しています。

スチュアート朝は前期と後期に分けられますが、その間に共和制の時代をはさみます。今日は、その前期の途中から共和制が始まるまでのお話です。

復習になりますが、この1つ前の時代であるテューダー朝の最後の王はエリザベス1世でした。この方は結婚しなかったため、世継ぎのためにかつてスコットランドに嫁がされていた御嬢さんの血を継ぐ方を連れてきました。それが初代のジェームズ1世という人です。大体17世紀の前半、日本でいう江戸時代の頃の治世だった人です。

昔からイギリスという国は君主関係が日本のような絶対的な形ではなかったため、この時代になると公然と議会が王様に刃向うというようなことが起こるようになります。日本ではまだ江戸時代ですから、そのようなことはありませんでしたが、イギリスではジェームズ1世もうかうかしていると身が危ないという時代でした。2代目のチャールズ1世は、共和制の始まりを受け、庶民に捕まり処刑されます。このように、イギリスは非常に激動の時代へと突入していきます。その共和制を招いた革命のことを「清教徒革命」と呼びます。

今日はこの話を中心にお話していきます。この「清教徒」というのは、今までのカトリックの時代とは違い、信徒と聖書が直接繋がり神様と信徒との間に入る教会の権威をあまり信用しないというタイプの人達を指します。これがやがてプロテスタントへと向かうことになります。いわゆる「宗教改革」です。イギリスは国教会にはなりましたが、基本的には国教会という教会の権威が非常に大きな権勢を誇っており、清教徒たちはそうした権威に対して批判的でした。この人達の中には、イギリスでの居心地が悪さからアメリカへと渡っていく人達が出始めます。それがいわゆるアメリカに新天地を求めて渡っていった人達の始まりになります。もうこの時代から移民が始まっていたわけです。

そして17世紀前半の中の後半、2代目のチャールズ1世は非常に王様としては悪徳だったため、臣下の人達からかなり反発を受けることになります。この後、清教徒革命に繋がるような要因の1つに、この王様がカトリックにシンパシーを持っていたことが挙げられます。どちらかというとイギリス国教会というのは、形の上ではカトリックと決別しカトリックを押しのけて自分達の宗派を作ったわけですから、カトリックの人達は議会の人達が嫌いなわけです。そのため、議会は当然このチャールズ1世が面白くない。そしてよくあることですけれども、戦争に大量のお金がかかります。そのため税金をかけたいけれども、議会は自分達や臣下の者にあまり税金をかけてほしくないため、王様と揉めることになるわけです。議会を開いたり、王様が強制的にそれを閉会したりと綱引きが行われていた時代になります。
ではなぜ王様が税金を上げなければならないほど戦争にお金を使っていたかというと、当時は大航海時代で植民地を求めて外へ出ていく時代だったことが関係しています。一番のライバルはオランダでした。「英蘭戦争」と言いますが、その覇権を争ってオランダと戦う為の資金が必要だったわけです。
そしてもう1つ、議会の人達は王様と対峙しているわけですが、この王様はカトリック側のため、プロテスタントに近い側のスコットランドの人達を味方につけようとしました。それにより入り乱れて非常に複雑な関係ができ、やがて王様側と議会の側が内戦に入っていったわけです。実はこのスコットランドの人達が最終的には王様を捕え、議会に引き渡すことになります。それが「清教徒革命」です。その時に一番活躍し議会側の軍事的な顧問をしていたのがクロムウェルという人で、これが次の共和制の時代に独裁者になった人になります。清教徒革命により良い時代が来るかと思った矢先、今度は王様を押しのけた側が独裁者になってしまうというのです。なぜそのようなことが起きたかというと、クロムウェルは次々と議員を辞めさせ、議会を解散することで自分の権力に全てを集中させたのです。こうした中、チャールズ1世が処刑されるということになるわけです。

この続きは、また次回お話したいと思います。

スチュアート朝の前半は議会と王様が争い、だんだんと清教徒革命に繋がっていったことで、イギリスで初めて共和制の時代を迎えることになったということで今日の話をまと

分野: 異文化コミュニケーション |スピーカー: 鈴木右文

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