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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > イノベーション・システム(8)  米国のイノベーション・システム (その2) (技術経営、科学技術政策/永田晃也)

イノベーション・システム(8)  米国のイノベーション・システム (その2)

永田晃也 技術経営、科学技術政策

14/10/02

 前回は、米国のナショナル・イノベーション・システムを概観し、その特徴が、連邦政府の役割の大きさ、活発なベンチャービジネス、世界トップレベルの大学の存在と、これら政府、企業、大学といったアクター同士が密接に相互作用している点に見出されるというお話をしました。今回は、こうした米国のイノベーション・システムの特徴が、どのように形成されてきたのかについて振り返ってみたいと思います。いちいち文献を挙げませんが、ここでの振り返りは、米国のイノベーション研究者たちの著作を検討した結果によるものです。

 ご存じのように、米国、アメリカ合衆国という連邦共和国の起源は、アメリカ大陸の発見以後、ヨーロッパ諸国による植民地化が進み、1776年にイギリスの植民地が独立宣言を発表したことに遡ります。1789年に合衆国憲法が発効するまでの時期は「植民地時代」と呼ばれていますが、この間の科学技術活動について触れておくべき点は、新大陸の自然に対する素朴な関心から、アマチュアの科学者たちが活躍したという点にあるようです。
 米国の文化的・社会的なエートス(気風)を表現する際に、「フロンティア・スピリッツ」という言葉が用いられますが、この薄っぺらな表現が植民地支配を一足飛びに美化してしまうという問題はしばらくおくとして、新たな事を為した者を認めるという価値観がこの国のエートスを形成していることは確からしく思われます。
 この点は、合衆国憲法によって知的財産権が根拠づけられていることに端的に窺えます。すなわち、その第1条第8節8項には「著作者および発明者にして、一定の期間、それぞれその著作及び発明に関する独占的権利を確保せしめることによって、学術および技芸の進歩を促進する」法律制定の権限を連邦議会に与えることが定められているのです。

 さて、1861年から65年までの間は、南北戦争が戦われたわけですが、この戦争の結果が原因となって、もう一つの重要な制度が制定されるに至ります。この戦争は、農産物の自由貿易主義を称える南部に対して、工業化を目指して保護主義を訴える北部が勝利するという結果に終わるのですが、その後、工業の大規模化と資本の集中が急速に進み、設備投資が行き過ぎて1873年には恐慌に直面します。この過程で、鉄鋼、石炭などの業界では価格協定などのカルテルが横行し、さらには競合企業同士がトラスティーボードに経営権を信託して1つの企業のように活動するトラストという一層競争制限的な取り決めが行われるようになりました。このため農産物の輸送等にかかる鉄道料金が高騰することになり、たまりかねた農業団体が反トラスト運動を展開したことを受けて、1890年に不法な制限や独占を取り締まるシャーマン法が制定されました。この法律は、補完的な法律であるクレイトン法などとともに、反トラスト法を構成することになったものです。

 前回、米国でベンチャービジネスが活発である要因として、反トラスト法による独占の規制と、特許制度による発明の保護がともに強力であることを挙げておきましたが、以上のように振り返ってみると、こうした米国の制度的な特徴は建国以後、かなり早い時期に形成されたものであることが分かります。
 南北戦争が戦われた1860年代は、工学の教育研究を担う大学が拡充された時期でもあります。1862年にはモリル法が制定されましたが、これは連邦政府が所有していた土地を州に寄附する代わりに、その土地を売却して得た資金か、その土地を使うことによって大学を設立することを定めたものです。こうして、ランド・グラント・スクールと呼ばれる多くの州立大学が設立されました。
 連邦政府には教育に関する権限がないため、米国には日本の国立大学法人に相当する大学が存在せず、ほとんどの大学が州立か私立によるものです。同じ頃、エリート私立大学の工学部も拡充されました。1863年にはイエール大学に機械工学のコースが、64年にはコロンビア大学に鉱山学部が設置され、65年にはMITが設立されています。

 大企業による研究所の設立も、19世紀後半から第1次世界大戦までの間に進んでおり、米国のイノベーション・システムを担う主要なアクターは、その頃までに形成されたと見られています。しかし、その頃までの各アクターの活動は相互に独立しており、アクター間の密接な相互作用が形成されたのは、第2次世界大戦以後のことです。
 一つの重要な契機は、MITの工学部長であったバンネバー・ブッシュによってもたらされました。この人は第2次世界大戦中には、原子爆弾を開発したマンハッタン計画のような軍事研究に科学者を動員していくプログラムを担当していたのですが、1945年に発表した『科学:限りなきフロンティア』というレポートの中では平時における政策提言を行い、連邦政府が産業分野の研究を強化するためには、大学の基礎研究を援助すべきであると述べました。しかし、前述のように連邦政府は大学に対する権限を持っていないため、この提言は、大学への研究助成金の支給や研究委託を通じて実行されることになります。実際、こうしたファンディングを行う組織としてNSF(全米科学財団)が設立されました。こうして、米国のイノベーション・システムの特徴のひとつである連邦政府の役割の大きさが形成されたわけです。

 ブッシュ・レポートの提言は、連邦政府、大学および産業部門の相互作用を形成する大きな契機となりましたが、その思想は、イノベーションの起点が基礎研究にあると想定する典型的なリニア・モデルに依拠しています。しかし、現実のイノベーションの起点は様々な業務プロセスに存在し、いくら基礎研究に資源を投入しても市場における競争優位をもたらすイノベーションには結びつかない場合もあります。
 その後の米国における特徴的な科学技術政策は、アクター間の相互作用を一層強化する方向に向かいましたが、ブッシュ・レポートの政策思想はまだ克服されておらず、DARPA方式にも、バイ=ドール法にも、なおリニア・モデルに基づく発想の痕跡が認められます。

今回のまとめ:米国のイノベーション・システムを担うアクターは、第1次世界大戦頃までに形成されましたが、アクター間の密接な相互作用が形成されたのは第2次世界大戦以後のことです。

分野: イノベーションマネジメント |スピーカー: 永田晃也

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