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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > 日本のイノベーション・システム (その2) (技術経営、科学技術政策/永田晃也)

日本のイノベーション・システム (その2)

永田晃也 技術経営、科学技術政策

14/08/29

 前回は、日本のイノベーション・システムの特徴を概観しました。かつては日本企業が長期的な成長を目的とした研究開発や設備投資を行ってきたこと、長期勤続を前提としたジョブローテーションによって、研究開発部門と他部門の効果的な連携がとれるようになり、また技術シーズと市場ニーズの双方に精通した経営者が輩出されてきたことなどが、技術力の源泉として把握されてきたわけです。しかし、こうした日本の特徴は90年代以降の経済不況の中で大きく変貌したと述べました。今後、日本のシステムが進化していく方向を見定めるため、これまでのシステムが形成されてきた歴史的な経緯を振り返ってみることが、今回のテーマです。

 日本の経済システムの形成過程を振り返るとき、敗戦を境にして、それ以前と以後では何がシステムの連続的な特徴で、何が不連続的な特徴であるのかに関する評価が、しばしば歴史家の間では争点になっています。日本のイノベーション・システムの特徴にも、その意味での連続と不連続があります。
 例えば、イノベーションに関連する制度の中には、GHQによる経済民主化政策の一環として導入された独占禁止法のように、明らかに戦後、成立したものがあります。それは導入された制度として固有の特徴を持つものです。
 しかし、日本のイノベーション・システムにみられる特徴の多くは、戦前に起源を持っているようです。これをアクターごとに検討してみます。

 まず、大学ですが、日本のイノベーション・システムに大学が果たしてきた役割の特徴としては、前回述べたように工学教育のレベルの高さが指摘されてきました。日本の大学では、戦後、工学部が急速に拡大・増設されたのですが、工学教育を重視するシステムの起源は、明治維新後、間もない時期にみることができます。新政府が成立した1868年から僅か5年後の1873年には、工部省に工学寮という教育組織が設置されています。工部省というのは、鉄道、造船、鉱山、製鉄などのインフラ整備事業を担い、殖産興業を推進した政府機関です。その管轄下に教育組織としての工学寮が設立されたわけです。これが1877年に工部大学校に改称され、後に工部省の廃止に伴って文部省に移管されて、1886年には東京大学工学部の前身である帝国大学工科大学となるのです。

 次に日本のイノベーション・システムに企業が果たしてきた役割の特徴ですが、これについては、長期的な成長戦略に基づく投資を可能にしてきた制度的な背景として、メインバンク制や重層的な下請け構造の存在が指摘されてきました。こうした企業間関係は、第1次世界大戦から第2次世界大戦が終結するまでの30年間に形成されたものであることが知られています。
 また、計画的な企業内訓練やジョブローテーションの前提となった終身雇用制と呼ばれる雇用慣行の起源については諸説ありますが、有力な説として、日露戦争の終わり頃から次第に形成されてきたという見方があります。

 最後に、日本のイノベーション・システムに政府が果たしてきた役割については、戦後、通産省などが多様な施策を通じて企業や事業者団体を主導してきたという点が、欧米のイノベーション研究者によって強調されてきました。しかし、このような政府の役割にみられる特徴の起源も、戦前に存在したということが日本の研究者によって指摘されています。
 日本は、1929年にニューヨークの株式市場が暴落したことにはじまる世界同時恐慌から脱していく過程で、拡張的な財政政策とともに、一連の産業合理化政策をとっていきます。1931年には重要産業統制法という法律が施行され、重化学工業を中心に、今日では独占禁止法による取り締まりの対象となるカルテルが保護されることになりました。その背景には、カルテルが安定した事業の遂行を通じて産業の合理化をもたらすという思想があったようです。
 また、1930年代には、陸軍、海軍、鉄道省、逓信省などの政府機関による調達が拡張され、これが機械、自動車、造船、航空機、通信機器等の産業を発展させることになったと言われています。重工業は、特に1934年から44年までの10年間に急速に成長したことが知られています。

 このように、日本のイノベーション・システムを構成するアクターごとの特徴は、その多くが戦前に起源を持つものであることが分かります。しかし、アクター間、あるいは制度間の相互作用については、戦後の新たな状況に直面する中で形成されてきた特徴があります。
 例えば、日本の大学による工学教育は、早い時期に高いレベルに達したとは言え、研究において世界的に高いレベルの業績を挙げられる大学はまだ限られています。企業側からみれば、先進的な共同研究を行うパートナーを日本の大学に求めることが容易にできないわけです。戦後、日本では同業種の企業によって、共同研究を行うための技術研究組合が活発に組織された時期がありますが、こうした動きは本来、企業が大学や公的研究機関に期待する研究機能が十分でないため、これを補完する意味があったという説も提起されています。

 さて、こうして歴史を振り返ってみると、日本のイノベーション・システムが変貌しつつある90年代以降は、非常に大きな転換期であるということを、改めて思い知らされます。それは、伝統的な雇用慣行や企業間関係を背景に構築されてきた競争優位が、十分に機能しなくなったことを意味しているのです。

今回のまとめ:90年代以降における日本のイノベーション・システムの転換期は、伝統的な雇用慣行や企業間関係を背景に構築されてきた競争優位が、十分に機能しなくなったことを意味しています。

分野: イノベーションマネジメント |スピーカー: 永田晃也

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