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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > LCCとネットワーク型航空会社② (国際経営、国際物流/星野裕志)

LCCとネットワーク型航空会社②

星野裕志 国際経営、国際物流

13/07/04

 航空会社の形態の多様化として、従来のネットワーク型の航空会社に対して、近年LCCと呼ばれる低コストの航空会社の参入が増えていること、そして、その低コストで低運賃を実現しているLCCのビジネス・モデルについて説明いたしました。

 まさに多様化ということかと思います。福岡と東京間の交通機関を考えてみると、飛行機の他にも、新幹線、在来線、高速バスなど様々な選択があります。これらの選択基準としては、料金、時間、快適さ、楽しみなどをどう捉えるかということもできますが、これが最近は同じ航空会社の中でも多様になってきたといえるのではないでしょうか。

 快適で良質なサービスであれば、少し割高でも既存の航空会社を利用することになるでしょうし、時間に余裕があるしできるだけ安く移動をしたいということになれば、LCCという選択があるのかと思います。昨日はLCCについて、最も重要な安全性については、一定の基準が充足されているので大きな問題はないけれど、機材が限られていているので運航の柔軟性を欠いていて、定時性の維持がウイークポイントであると申し上げました。最近日本航空は「定時到着率世界一位」ということを盛んに宣伝しています。つまり既存のネットワーク型の航空会社にとっては、定時運航ができる機材の豊富さと柔軟性が最大の強みであるのかもしれません。スターフライヤーという航空会社は、非常にサービスの質も高くLCCに位置づけるべきではないと思いますが、この春から「45分到着が遅れたら次回無料」というキャンペーンを実施しています。これは、新規参入の航空会社の弱点を克服する努力をしながら、顧客が躊躇する定時性の不安を拭おうとしているのだと思います。

 ところで、日本にLCCが参入したのは、スカイマークの1996年が最初ですが、どうして長くJALとANAの独占状態が続いてきたのでしょうか。それを説明するために、まず世界のLCCの動きを見ると、レイカー航空というイギリスの航空会社が、1977年に「スカイトレイン」というブランド名で、ロンドンとニューヨークの間を飛び始めたのが、世間でのLCCに対する認識の最初ではないかと思います。僕もその翌年の大学2年の時には利用しましたが、ロンドンからニューヨークで、わずか149ドルくらいではなかったかと思います。当時の換算レートでも2万円ぐらいだったので、そのころはバックパッカーを中心に、飛行機のチケットを手に入れるために行列を作ったということがありました。まさに「スカイトレイン」=空の列車というブランドのように、飛行機の大衆化の先鞭をつけたということになります。この時期は、アメリカで航空自由化が始まった時期であり、新規航空会社の参入や路線開設が規制から自由化に転じたタイミングです。そこに航空輸送の大衆化と顧客のニーズが合致したということになります。

 その後このレイカー航空は様々な要因で倒産しますが、現在のLCCに近い航空会社の始まりは、アメリカのサウスウエスト航空になるかと思います。機材を統一すること、ネットワーク型ではなく需要のある2地点間の往復が中心、機内サービスを最低限にすること、大都市の郊外などの比較的利用料の安い空港を使用すること、社員が複数の業務をこなすことなどのLCCのビジネス・モデルの原型になった企業です。すべて、従来からの航空会社のスタイルとは異なります。

 日本ではLCCの促進要因として指摘した様な航空輸送の大衆化と自由化が、アメリカよりもかなり遅れたことが、新規の航空会社の参入の実現を阻んだということになります。日本には、「45/47体制」とか「航空憲法」と呼ばれる航空会社の産業保護政策がありました。45/47とは、昭和45年と47年、1970年と72年に当時の運輸大臣から出された通達によって、JALは国内幹線、国際線を運営し、ANAは国内幹線およびローカル線の運営と近距離国際線のチャーターを行なうと規定されました。つまり2社によるほぼ独占の状態で、新規の航空会社が参入する余地もなく、さらに認められなかったということになります。それがようやく崩れたのは、1985年ごろでしたが、日本にはもうひとつ国内最大の拠点である羽田空港の滑走路の数が足りないことから、発着枠が制限されていたために、東京と結ぶ需要のある路線が運航できないことは、新規の航空会社にとって致命的でもあったわけです。

 そう考えてみると、今日のまとめにもなりますが、世界や日本でのLCCの台頭は、航空自由化という規制緩和と航空輸送の大衆化で多様なニーズをもった顧客の増加ということが促進要因と考えられますが、日本国内では特に羽田空港を中心とする空港の整備で、離発着に余裕ができたことも大きいと思います。

分野: 国際ロジスティクス 国際経営 |スピーカー: 星野裕志

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