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QT PROモーニングビジネススクール > ブログ&ポッドキャスト一覧 > イギリスの歴史(8):プランタジネット朝(1) (英文法理論、コンピュータによる英語教育/鈴木右文)

イギリスの歴史(8):プランタジネット朝(1)

鈴木右文 英文法理論、コンピュータによる英語教育

13/06/27

イギリスの歴史シリーズ8回目の今回は、「プランタジネット朝」についてお話します。

前回までは、「ノルマン朝」についてお話しました。1066年にノルマン大征服というのがあり、それはイギリスの現代に繋がる王朝が始まった時代となりました。その最初の王朝が「ノルマン朝」というものでした。その後、現代のエリザベス2世に至るまで血筋は繋がっているのですが、所々どのファミリーが王様になるかということで、〜朝という名前が、違ってきたというお話をしたかと思います。今回はノルマン朝に続いて2つ目の王朝、「プランタジネット朝」というもののお話になります。

今回の話は、1154年から1399年あたり、相当古いお話になります。ノルマン朝の時代に世継ぎ争いのようなものがあり、色々な権力争いが存在しました。その結果として、フランスに拠点のあった「アンジュー家」という家の方々が次の時代、「プランタジネット朝」を創立したという形になっています。そうなると、イギリスの領地もイギリス本土だけではなく、フランスの中にも食い込むようにあり、年代ごとに「どのあたりまでがイギリスの領地だったか。」というのがバラバラなのです。そして押し合いへし合いをして、何百年も争いをしているわけです。最大時には、フランスの半分はイギリスの領土であったと言える程まで、その領土が拡大したこともあるのです。これは大きな流れなのですが、今日は「プランタジネット朝」が始まったところからの話になります。

この王朝における最初の王様は、あまり知られていませんがヘンリー2世という方になります。この頃になりますと、イギリスという国が徐々に育ってきているわけです。しかし、まだこの時代は、ヨーロッパの中において比較的弱い国で、強大な国となっていくのは、大航海時代になってからの話になります。この時代のイギリスは、ヨーロッパの中ではそれほど大きな力のある国ではなかったものの、それでも少しずつ力をつけ始めている時代で、それに伴い、当時の中世社会を支配していた宗教の権威とぶつかるようになりました。何を元に争いが起きるかというと、例えば、キリスト教のお坊さんが、何か問題を起こした際に、誰が裁くかということが当時問題になり、ここで対立が起きるわけです。その時期に、「トマス=ベケット」というカンタベリー大聖堂の大司教をやっていた偉い方が殺される事件が起きました。これは、王様と対立していることを知った王様の部下たちが、気を利かせる余り大司教を殺害してしまったというのが真相のようです。これは非常に大きな事件になり、現在でも、殺された恨みの火にろうそくが灯っており、事件以後800年間途絶えることなく、ろうそくが灯っているそうです。
ちなみに、そのろうそくは大聖堂の中の、大司教が刺殺されたその場所に置いてあるのですが、私がかつてその場所を訪問した際には、くしゃみやひっくり返したりで、ろうそくを消したりすれば、二度とイギリスの地を踏めないだろうと思い、非常に緊張したのをよく覚えています。とにかくそのような形で、非常に大きな事件として当時は取り上げられたようで、「プランタジネット朝の時代」と言うと、この事件を思い出す人も多いくらいなのです。その他、国外との関係で言えば、フランスとのギクシャクした関係がずっと続いており、それに加え、「十字軍」というのがこの時代にはありました。

十字軍は、南の方に聖地を復興させることを目指し、イスラム側と戦いを繰り広げていました。最終的に十字軍が勝利したといわけでもなく、「くたびれ損だった」という形で終わるのですが、この時代のイギリスは、そちらにも精力を使っていたわけです。フランスとの間にも戦争状態があり、そうなってくると、当然お金が掛ります。その分のお金をどこに求めるかというと、王様は自分の部下たちに「貢物を出せ。」というのが一番手っ取り早いわけです。しかし部下たちにとってこの王様というのは、昔フランスで自分たちと同じようにフランスの国王に仕えていた貴族だったわけです。たまたま少し力が強く、イギリスに来で王様になったわけですが、元は同じ身分の仲間であるため、部下たちはそんな王様に色々と命令され、あまり気持ちは良くないわけです。そんな中、有名な「マグナカルタ」というのがこの時代にできます。

「マグナカルタ」というものは要するに、「王様が戦費を集める時には、ちゃんと部下に相談してから物事を進める」ということを認めさせた「書付証文」なのです。当時の文字ですから、私が見ても読めませんが、イギリスに現存する正本が4枚残っていて、そのうちの1枚を見たことがあります。イギリスの法律体系の一角を作る、ごくごく初期の文献の1つになります。以来、イギリスは戦争において、一旦全てが無しになるようなことは無かったので、この時代から後にできる法律は、特に廃止の決定が無い限りそのまま有効なのです。ですから、「マグナカルタ」そのものが現在も有効かどうかは存じ上げないのですが、かなり古い法律で忘れられているものの、その効力が残っていることになっている部分もあるようで、そういった点は非常に面白いですね。その代わり、イギリスには憲法というのは無く、その時代、その時代に次々と作られた法律全体が、国の根幹をなすような憲法の効力を、事実上持つような形になっているのです。日本国憲法のように、書き付けた「これが憲法。」というものが無いため、よく不文憲法などと言うのですが、その中身は申し上げたようなことになるわけです。イギリスは議会についてもそうなのですが、そのあたりの話は次回お話しようと思います。

では今日のお話をまとめます。「プランタジネット朝」、これは戦いの歴史だということです。加えて、「国家の権威」と「宗教の権威」が対立した時代であるということ、「マグナカルタ」のように戦費を集める税金に対して、部下が反発して歴史が始まったということ。その辺りを今日お話しした「プランタジネット朝」のまとめにしたいと思います。

分野: 異文化コミュニケーション |スピーカー: 鈴木右文

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