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QT PROモーニングビジネススクール > 過去の記事一覧 > イギリスの歴史:ノルマン朝の時代(異文化コミュニケーション/鈴木右文)

イギリスの歴史:ノルマン朝の時代(異文化コミュニケーション/鈴木右文)

12/03/05


イギリスの歴史の話をしてきましたが、前回はイギリスの近代王朝の最初になるノルマン朝というのが始まろうとするところまでで、イギリスで大きな事件といわれている、ノルマン大征服というものが起きて1066年にノルマン朝がイギリスに開かれたというところまで見ました。

そしてノルマン朝が終わるのが1154年です。短い期間ですがこの後王様がずっと続いており、次の王朝に移動する時にはファミリーがちょっと移動するだけで血筋は繋がっています。

今回はその後どうなっていくのかいうところです。

前回まではケルト人、ローマ人、アングロサクソン人、ヴァイキングの人達と色んな侵略してきた人達のことを見ましたが、ノルマン人が最終的に入ってきてノルマン朝を作り、前回見た様にノルマン人は一旦フランスに入って来たヴァイキングの一種の人達がフランス王に仕える身分となり、その後でイギリスに攻め入ってきました。
この人達の最初の王様はウィリアム1世と言います。イギリスでの言い方がウィリアム1世で、フランスにいくとノルマンディー公ウィリアムという名前です。

名前が違うというのはよくあることで、例えばスコットランドからイングランドに王様が迎えられると、その時に名前が向こうでの呼び方とイングランドでの呼び方が違うことになります。
ここでノルマン朝を開きイギリスでは一国の主なのにも関わらず、フランスではフランスの国王に仕える身であるという、二重性が発生します。これは彼にとっては面白くないことです。

ではイギリスにいたら自由にやれていたのではと思われるかもしれませんが、フランス国王も面白くない思いを持っていて、ここがフランスとイギリスの仲が悪いところの始まりで、その後からイギリスフランスの色々な戦いが散発的に繋がっていく歴史の始まりなのです。イギリスでの足固めをするためにウィリアム1世が何をしたかというと、それまでにいたアングロサクソン人の貴族達の多くの人達から土地を奪い、財政的基盤を得て、その奪った土地はノルマン人の貴族達に分けてそれぞれが領主になりました。
イギリスの貴族は領地の名前を冠して名前を付ける事があります。ヨーク公と言うと、ヨークの地方を治めている人のことで、ここから土地とそれから貴族がイコールで結ばれることになりました。それが荘園制。つまり荘園という土地を持ってそこで耕してそこから出てくる上がりで食べていくという形で、そのようにした支配関係のことを封建制と言います。国王がいてその下に領主がいて、階級は低いですが英語で言うナイトと呼ばれる騎士の人達がいて、その更に下に農民がいるというような階層構造が出来、それがこの時代で確立しました。
それが近代に至るまで続いてきて、産業革命の時代ぐらいまで何らかの形で残っていた訳ですが、そういうことが始まった時代です。それを成り立たせる為に様々なことをしました。例えば土地の台帳を作る。そこに農民として誰が住んでいるというようなこと、いわゆる人別帳や土地台帳ということを始めました。これは日本の歴史を見ると太閤秀吉がやった事と同じです。

これは国をきちんと支配しようとすると誰もが考えることです。歴史の研究者にとってもありがたいことに、書き付けた物が豊富に残っています。

それで、ノルマン人達はそれ以前からいたイギリスの人達に対してだいぶ圧政を敷いて足固めをしようとしたのですが、それを称してノルマンの軛と言います。軛という字は圧政を敷いた、厳しくしたという意味を持ちます。
この当時に建てられた建物で、有名なタワー・オブ・ロンドンというものがあります。この時代は反逆者達を入れ込む牢獄として使われたのが最初の用途で、その後宮殿として使われるなど様々な用途があった訳ですが、幽霊話が有名なことからこの時代に捕らえられた人達の色々拷問を受けた呻き声が残っているというような話が残っています。

その後このノルマン朝がいつまでも続くかというと、どこの世界でも同じ事ですが跡目争いが発生します。それだけ王様というのはおいしい商売なのかもしれません。最初の一代目のウィリアムが死んだ後、ウィリアムにはもちろんイギリスに領地があり、加えてフランスの貴族でもあるのでフランスにも領地があります。それでフランスの領土を長男に残してイングランドの領地を次男に残したところ、当然お互いに相方の分も欲しがることになり、イングランド側とフランス側で再び戦いが起きることになります。勝ったのはこの場合イングランド側でフランス領土を併合してしまい、何百年後かにひとつもなくなるまでしばらくイングランドはフランスにも領地を持っていました。いずれにしても跡目争いがどんどん続いていき、最後に膠着状態を打開する為に出た1つの解決策が、イングランド側がフランスで領土の持つ代わりにフランス側から王様を作ろうというものです。

またこれもよくイギリスの歴史ではある事なのですが、フランス側には政略としてイングランド側から女の子が嫁いで行きました。後の歴史でも嫁いだ先から王様を招くという事があり、イギリスは不思議ですが一旦外に出て外から王様を招くというようなことがよく起こります。
こういう流れでフランス側から王様が出て支配するファミリーが変わり、新しい王朝の名前が付いた、プランタジネット朝が生まれました。

ノルマン朝は4代の王で終えるということになります。

分野: 鈴木右文准教授 |スピーカー:

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