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QT PROモーニングビジネススクール > 過去の記事一覧 > マスメディアとメディアリテラシー1(マーケティング/出頭 則行)

マスメディアとメディアリテラシー1(マーケティング/出頭 則行)

12/02/13

■宗教改革とソーシャルメディア 

前回は、宗教改革とソーシャルメディアは関係があるというお話でした。マルティン=ルターはパンフレットをソーシャルメディアとして駆使しました。また、歌も作り、漫画も利用したという意味では、一種マルチメディアも駆使したという感じです。

当時、知識階級ではラテン語が主要言語だったけれど、一般大衆が使っているドイツ語を使って呼びかけ、それがムーブメントになったということです。ドイツ国民にとってドイツ語で話が広まる事によってムーブメントになったわけです。ただ、論争自身はラテン語で行われるわけです。法王側はラテン語で応酬するので、論戦はラテン語で行われていました。すなわち、知識階級が質の高い論戦をしあっていたというわけです。これは公開で行われており、相当過激にやりあっていたようです。ドイツ語を母語とし、ラテン語を解さない一般階級が宗教改革のムーブメントを支えましたが、議論をリードしたのはラテン語で意見を応酬できる知識層でした。

■大衆迎合的な日本の国民紙 

今度は日本に話を移します。日本の識字率はすごく高いのです。19世紀の終りくらいまでには識字率は相当高い国になっていて、独特にメディアが発達したと思います。独特にというのは、明治維新から程なくして日本には幾多の国民紙が誕生したということです。新聞では県の新聞・県紙、ブロック紙、それから全国紙があり、それぞれが一般を読者層とするマスメディアです。ところが、アメリカやイギリスでは、大衆紙とクオリティペーパーというようにきっちりと分かれていました。大衆紙は何百万も部数がありますが、クオリティペーパーは15万や20万くらいの部数です。政治的見解をそこで交し合うという伝統がありますが、そういうクオリティペーパーの伝統を経ないで、マスメディア的な国民紙が日本では誕生したと言えるでしょう。

高級紙というと、19世紀~20世紀初、イギリスであればタイムズやオブザーバー等々ですが、部数はせいぜい20万から30万部くらいでした。これらは署名入りで自分の見解を載せる新聞です。そういう意味で、新聞紙上で論争するという伝統がイギリスやアメリカには強くありました。そこにはポリティカル・エッセイストが結構いました。ジョナサン=スウィフトという「ガリバー旅行記」を書いた人ですが、彼もポリティカルなエッセイを書くというのが主な職業でしたし、「1984」を書いたジョージ=オーウェルもポリティカル・エッセイストで、スペイン戦争の義勇軍に参加したりして、「1984」では今の北朝鮮を髣髴とさせる全体主義の恐怖を書いています。そういった人達が高級紙で論戦を交わしていたわけです。それがイギリスやアメリカの2大政党制を多分に支えていたと思います。

日本の場合は、大衆紙と高級紙が合体したような性格の国民紙が最初から生まれてしまっているということではないかと思います。日本の新聞の歴史を振り返ると、極めて大衆迎合的(Populism)です。例えば日露戦争が終わった後のポーツマス講和の時には、日本の小林寿太郎の弱腰外交といって非難がすごかったのです。あらゆる新聞が一斉に批判し、ロシアとの戦争継続を主張さえしました。他にも第二次世界大戦前だと、大政翼賛的でない新聞は存在を許されなかったということもありますし、ほとんどが積極的に大政翼賛的になっていました。戦争が終わると、全ての新聞でマッカーサーは映画スターのような扱いになりました。1960年代の安保の時の岸首相に関しても、あらゆる新聞が悪者扱いしました。田中角栄の時然り、小泉純一郎の時然り、極めて大衆迎合的な面があり、クオリティ・ペーパーとはとても思えません。戦争前は大政翼賛的で、終わるとマッカーサー礼賛ということが同じ名前の新聞で起きていて、その振幅が極めて大きいと思います。今もそういう流れがずっと続いています。

■イギリスもアメリカの国民氏の大衆迎合化 

ただ、イギリスもアメリカも、メディアが商業化をしてきていて、商業的に成功しないとメディアが生き残れないという中で、極めてポピュリスティックになっているという感じがします。日本だけではなく、今はアメリカの大統領選挙でもネガティブキャンペーンの応酬をしています。相手の過去を暴いてそれを新聞紙でもテレビでも広告しあうわけです。ネガティブキャンペーンは結構効いていて、それによって支持率が変動してしまいます。けれども、金がある方がメディアを使えるので、圧倒的有利になっていくという状況があります。これは本当に正しい姿だろうか。アル=ゴアが以前、インターネットというものでみんな自分の意見を表明出来るので、インターネットはかつてのクオリティペーパー的な役割を果たすのではないかと言っていましたが、どうやらそのような事もなく、メディアは大衆迎合的な性格を更に強めているようです。

アメリカの民主党と共和党も政策論議を交わしているというよりは、マーケティング戦争を行っていて、相手の弱点を突く、相手の言わない事を言うというようなことをしていて、政治的論争ではないと思います。最終目的が国民の票を買うという所にいってしまっているような感じがします。そうしないと勝てないですし、選挙に落ちた政治家は木から落ちた猿なので、どうしてもそうなってしまいます。それで、メディアも同様に、読者獲得のために、大衆迎合的になるということが起きています。大衆迎合的でない商業マスメディアはあり得るのか、次回はこの続きをお話します。

分野: 出頭則行教授 |スピーカー:

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