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QT PROモーニングビジネススクール > 過去の記事一覧 > 宗教改革とソーシャルメディア(マーケティング/出頭 則行)

宗教改革とソーシャルメディア(マーケティング/出頭 則行)

12/02/10

今回はソーシャルメディアについてのお話です。英語のジ・エコノミスト(The Economist)という雑誌の昨年末の号に宗教改革とソーシャルメディアに関する記事が載っていました。

■宗教改革の始まり 

インターネット等々で調べてみましたが、大変面白い事が分かってきました。マルティン=ルターが宗教改革の最初の行動者と言われています。歴史的に言うと、ルターが自分の教区の教会に公開質問状を打ちつけたのが1517年の10月31日です。教会というのは大学でもあったらしいので、大学の掲示板に公開質問状を打ちつけたということです。「95の論題」について公開論争をしようじゃないかというものです。要するに、ルター自身が司祭として属するカトリックに対しての批判で、ラテン語で書かれています。

その頃、読み書き言語はラテン語なので、ルターもラテン語で書きました。主な内容は、今教会がやっている免償符、これは正式には贖宥状というらしいのですが、お金を寄付すれば現世で色々犯した罪が軽減されるというものです。丁度その頃、法王10世のレオという pope(法王)が大きな公会堂を作ろうとし、その基金を集めていました。それで、お金を寄付すれば、罪が軽くなると言ったわけです。この事に対し、ルターは激しく論駁します。公開で討論しようと呼びかけたのが宗教改革の始まりとされています。

■ドイツ語版パンフレットの印刷・配布・販売 

ルターの50年前に活版印刷がグーテンベルグによって発明され、それによって既に新旧約聖書はラテン語で印刷されていました。そして、この活版印刷によって、瞬く間にルターの公開質問状はドイツ全土、更にはキリスト教圏全土に広まっていきます。読み書きの言語はラテン語だったので、当初はラテン語の公開質問状が知識階級を中心に広まっていきます。そして。それに賛同した人間が地元の一般大衆にドイツ語に翻訳して語り始め、それがラテン語を知らない一般大衆に大きなムーブメントを引き起こすのを、マルティン=ルターは目の前で見ていきます。これによりルターは現地語、現に生きている言葉を使う事の強さを実感しました。ルターは翌年の1518年の3月ぐらいからドイツ語での論述を始めます。

よくインターネットの普及で英語が世界言語になってしまうのではないかと懸念された時代がありました。しかし、実際は今でも各国の現地語が使われています。インターネット言語で最大のものは中国語と言われていますし、ツイッターでのアラブの春も、現地語のアラブ語で喋られているからこそ、ムーブメントになっています。ルターは現地語の強さを強く理解しました。そしてドイツ語で話し始めます。これが宗教改革に大変大きな影響を与えたのでした。

ルターはメディア・ミックスにも巧みでした。みんながよく知っている歌の詩を替えて、法王出て行けという替え歌を作ったり、活版技術がありますから挿絵(風刺画)を使ったパンフレットを配布したりしました。法王側も黙ってはいませんので、当然論駁しますが、それはラテン語における論駁です。ルター側と法王側の論争自体はラテン語で行われていましたが、宗教改革のムーブメントはドイツ語を母語とする一般大衆にささえられたのです。宗教改革で議論をリードしたのは、ラテン語での応酬ですがから、知識階級ということになります。しかし、実際のムーブメントはドイツ語を母語とする大衆に広まっていきました。

マルティン=ルターの批判は法王を頂点とするカトリック教会の金権体質で、お金でこの世での罪が軽減される募金制度が許せなかったのですが、教会側は、法王は神の代理であって無謬であり(法王無謬説)、誤りを指摘する事自身が信仰の否定であると論駁します。マルティン=ルターの賛同者もいれば、法王側の賛同者もいて、喧々諤々の議論がラテン語で行われ、高度な神学論争でした。ラテン語を理解できる知識人が民衆にドイツ語で語りはじめ、ドイツ語版のパンフレットが出回り始めて大きなムーブメントになっていくというわけです。このパンフレット自身は見開き位のものなので、大変な部数が活版で印刷されて、なおかつ売られたようです。

■大衆を巻き込んだマルチメディアでの論争 

マルティン=ルター自身は、このパンフレットというメディアの性質を非常によく理解していました。パンフレットは瞬く間に広がっていきました。ラテン語からドイツ語に翻訳された時に更に広がりました。それを補強する為に、例えば 法王よ、出て行けというようなプロテスト・ソングを広めたり、あるいは著作に漫画を挿し入れたりして民衆に語りかけるわけです。今の言葉で言えば、ルターはパンフレットをソーシャルメディアとして利用し、歌や挿絵を使ってマルチメディア戦略を展開したということになります。

分野: 出頭則行教授 |スピーカー:

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