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QT PROモーニングビジネススクール > 過去の記事一覧 > ユーロの危機と欧州の統合(ファイナンシャルマネジメント/平松拓)

ユーロの危機と欧州の統合(ファイナンシャルマネジメント/平松拓)

10/06/22

前回、ユーロの制度的側面について話をしましたが、
今回はユーロが欧州にとって持つ意味合い、
また、ギリシャ問題などで揺れた共通通貨ユーロの問題について
どのように考えるべきか、ということを話したいと思います。
 

■通貨統合の歴史
 
欧州で最初に共通通貨の導入が具体的に計画され、
スケジュールまで合意されたのは、
今から約40年も前の1971年のことです。
当時はまだ加盟国が6カ国の欧州共同体(EC)で、
「10年かけて準備を進め、1980年には共通通貨を導入する」
という計画が決議されました。
背景には、1957 年に組織された欧州経済共同体が
1968年に域内の関税撤廃、対外統一関税を内容とする
「関税同盟」の形成に向けて大きく動いたことがあります。 
 
貿易をする場合、輸入国に数量制限や関税があると
大きな障害となります。
その他にも、それぞれの国の規格や安全基準の違いなど、
いわゆる非関税障壁もありますが、こちらの方は、
何が非関税障壁となるのか、その特定が難しい
といったことがあり、時間をかけて
取りはらっていくための地道な作業が必要です。
ところで、こうした障害をなくした場合、
その後に大きな障害として残るのが、為替相場の変動リスクや
両替に係る取引コスト、即ち通貨の違いによるコストです。
つまり、市場の一体化を進めていくと、
必然的に立ち向かわねばならないのが、
通貨の一体化、共通通貨の導入というわけです。
 
この最初の動きは、その後、1973年と1979年に、
世界が石油ショックに見舞われたことで頓挫します。
しかし、80年代になって、日本の経済プレゼンスの急拡大や、
NAFTA(北米自由貿易協定)に代表されるような他の地域での
自由貿易協定など市場統合化の動きに対する危機感が高まったことを背景に、
欧州で再び通貨統合の機運が盛り上がります。
具体的には、1989年に発表されたドロール・レポート
(ECの経済通貨同盟に関する報告書)の中で、
再び10年間のスケジュールで共通通貨の導入を
進めることが提案され、それが1991年のマーストリヒト条約に
盛り込まれて、今度は12カ国で合意されました。
 
このように欧州にとっては、この通貨統合は
既定方針となっていたはずですが、
それでもマーストリヒト条約が締結された時には、
世界中で大きな反響を呼びました。
特に、欧州内にあって、統合の動きの中に取り込まれることに対して
半分警戒的なスタンスを維持してきたイギリスでは、
新聞論調を含めてその実現性に懐疑的でした。
英国メディアがそういう論調だったので、アメリカでも然り、
海外からのニュースと言えばせいぜい英文記事を翻訳して
伝えていた日本のメディアもまた然りでした。
しかし、独仏を始めとする諸国は大まじめで、
結果はご存知のように、共通通貨ユーロが誕生したわけです。 

 
■欧州の統合の歴史
 
つまり、欧州の共通通貨導入の背景には、
欧州で市場の一体化・経済の統合を進めていこう
という基本的な動きがあり、通貨統合は
いわばその必然的な帰結であったわけです。
それでは、そうした市場の一体化・経済の統合を
推し進める欧州の基本的な発想の原点は
どこにあるのでしょうか?
 
その源流は1920年代の汎ヨーロッパ主義に
さかのぼることになります。
第一次世界大戦後の地域の混乱を案じた
日本人を母に持ち日本生まれのオーストリア人の政治家、
クーデンホーフ・カレルギー伯爵(日本名は青山さん)が
その嚆矢と言われています。
伯爵はドイツとフランスの和解、
共同市場の創設、更には共通の通貨といった、
今につながる考え方を提唱していました。
残念ながらこの動きは
その後の欧州の紛争の中にかき消されてしまいます。
しかし、この考え方は、第二次世界大戦後の
チャーチルによるヨーロッパ合衆国構想や、
フランスの外相シューマンによる経済資源と
軍事における重要な資源を共同管理する構想に繋がり、
地域の安定と経済の発展を図る動きとして
具体化することになります。
 
具体的には、それが1952年に設立された、
欧州石炭鉄鋼共同体です。
これは、ドイツ、フランスに加え、イタリア、
そしてベネルクス3国を含む6カ国、
まさに第二次世界大戦の渦の中心にあった国々によるものです。
内容は普仏戦争以来、ドイツとフランスの間で
取ったり取られたりを繰り返してきた、
重要な産炭・軍需の中心地ルール工業地域を
共同管理しようというもので、2度と欧州を
戦地にしないという強い「政治的な意志」を
背景に成立したものです。
 
以降、欧州は関税同盟の形成や共通農業政策、
単一市場の完成、その他法制度の共通化などを通じ、
政治面、経済面での統合を推進してきました。
もちろん、最初の通貨統合の計画が
石油ショックなどの影響で流れたように、
時々の経済、社会情勢を受けて、紆余曲折はありました。
しかし、世代が変われば国籍よりも
欧州人というアイデンティティーがより重要になる
といった時間を超えた認識の変化をも考慮に入れながら、
「政治的な意思」を原動力に、一貫して
統合の道を進めてきました。
一方で、当初6カ国であった共同体の加盟国も、
現在の欧州連合では、イギリスはもちろんのこと、
ギリシャやスペイン、ポルトガルなどの南ヨーロッパ諸国、
更には旧共産圏の中東欧、バルト海諸国まで含む
27カ国にまで拡大しています。
 
 
■欧州統合とユーロの問題

以上、説明してきたように、欧州共通通貨ユーロを理解する上で
重要なのは、ユーロの導入は単なる利便性の問題ではなくて、
共通通貨が「欧州の統合」を実現する上での
必然的なステップであったこと、そしてまた、
「欧州の統合」も単なる経済的なメリットの追求のために
推進されているわけではなくて、背景には独仏を中心とした
「戦争の回避」という強い政治的な意思が働いていることです。
したがって、ユーロに係る問題を考える場合、
この「欧州の統合」という大きな文脈の中で
考えてやる必要があります。
 
金融危機以降、ギリシャなどの財政赤字問題が
発端となって前回述べたようなユーロの
制度的な脆弱性に焦点が当たりました。
また、加盟国間の支援を巡っての足並みの乱れも加わって、
ユーロに対する悲観論はこれまでになく強まりました。
確かに金融危機後に欧州の金融機関が抱える不良資産や
各国政府が抱える財政赤字、政府債務の水準は危機的であり、
各国政府の政策運営がただでさえ難しい中、
共通通貨故の制約を抱えていることで、
問題をさらに複雑にしていることは事実です。
 
しかし、欧州はこれまでも単一市場の実現に
向けての問題が生じる度に、問題を梃子としつつ、
且つ強い「政治的な意思」を背景に、統合をさらに深める形で
問題の解決、緩和を図ってきたという実績を持っています。
今回のユーロの制度的な脆弱性、即ち、複数の主権国家と
単一の通貨に起因する矛盾にかかわる問題についても、
寧ろ統合に向けて更なる一歩を進める形で、
矛盾の緩和、縮小が図られるのではないか、
こうした期待をしながら見て行くこともできると思います。

分野: 平松拓教授 |スピーカー:

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