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QT PROモーニングビジネススクール > 過去の記事一覧 > スズキがトップシェアを堅持 (国際企業戦略論/永池克明)

スズキがトップシェアを堅持 (国際企業戦略論/永池克明)

09/12/22

スズキは海外事業、特にインドにある意味
社運をかけているような、すごい熱の入れようです。
数字がそれを示しているわけですが、
2007年度に初めて日本での売り上げを上回り、
2008年度はその差が1.5倍と、
約6万台に広がりました。
インド市場の約半分のシェアを持ち、
長年にわたってトップを堅持しています。
更に国内市場も、輸出も非常に伸びていることもあり、
設備を拡張してトップシェアを死守することを発表しました。

今年9月、スズキは来年・再来年を目途にインドに
新工場を建設することを発表しました。
この工場は、インド北部のニューデリーの南西約50キロにある、
ハリアナ州(ハリヤーナー州)マネサールの工場ですが、
年産能力が大体フル操業時で30万台、
300億円程度の投資をするということです。
これによりスズキのインドでの生産能力を全部足すと、
現在の1.3倍、年間130万台体制になります。

既に2つ大きな工場を持っていて、
1つはグルガオン(グルガーオン)に年産能力70万台の工場が、
マネサールにも30万台位の工場があります。
そこにさらに同規模の工場が建つことで、
ますますその生産能力が増強されることになります。

確かにスズキというのは、インドの自動車市場の王者です。
ただここに来るまでには様々な試練があったことも事実です。
最初に外資系のメーカーのインド市場進出が
始まったのは80年代であり、他の日系企業も
インドに進出しようとしたのですが非常に厳しかったのです。
インドは当時社会主義体制をまだ導入していたため、
うまく企業経営ができなかったのです。
民間企業としての経営ができなかったことで、
インドに進出した他の企業は続々と実質上撤退・縮小になり、
生き残ったのはスズキだけになりました。

ただ当時は外資系の数が少ないから供給独占で、スズキの合弁会社は
政府系の企業でもあり、作れば売れました。
メリットもデメリットもありながら
試行錯誤した時代がありました。
91年からインドは中国と同様経済開放政策に舵を切ったことで、
国営企業であるマルチ・スズキにも転機が訪れました。
これで規制が大幅に緩和されましたから、
有力な外資系企業、フォルクスワーゲン・GMなどが
どんどん参入し競争が非常に激しくなってきました。
本格的な競争時代の到来です。
スズキも出資比率を50対50まで上げたにも関らず、
インド政府は依然として自動車のことは全く分からないような
政府の高級官僚を社長として派遣してきました。

そこで、スズキは合弁契約に違反だと
デリーの高等裁判所に合弁契約違反で訴えました。
つまり社長というのは日印両方が納得する優れた経営者であると
契約書に書いてあり、それに全く逆行しているという訴えです。
ところが、やっぱりインド政府も国営企業で面子もあり、
そこで決定できませんでした。
結局スズキはロンドンにある国際仲裁裁判所に
インド政府を訴えました。
そこまでいくとインド政府も国際的な配慮もしなければならず、
遂にその社長更迭を約束したわけです。
スズキはインドに対して政治的な妥協或いは裏取引は、
一切排除するという強い意思をインド社会全体に、
突き付けたという結果になりました。

このようなことあって、その後、スズキの意見もインド側に通るようになり、
99年には社名をマルチ・スズキと変更し、
2002年には合弁会社の過半数を握って完全に子会社化しました。
2003年にはムンバイの証券取引所に上場を果たし、
名実共にインドの自動車市場に君臨する存在になりました。
品質はもともと良かったからこそ
ナンバーワンになれたのですが、
一番重要なことは社運をかけたことでしょう。
もう1つは色々な困難の中で不退転の決意を示したことが
成功の鍵だったのかなと思います。

分野: 永池克明教授 |スピーカー:

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