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QT PROモーニングビジネススクール > 過去の記事一覧 > 経営戦略3.多角化戦略(経営学/久原 正治)

経営戦略3.多角化戦略(経営学/久原 正治)

09/05/27

前回は2回に渡り、
企業に戦略がないと競争には勝てないし、
競争に勝てないと企業は生き残っていけない
というお話をしました。
では、今後は、企業が生き残っていくためには、
何が一番重要かについて、今日はお話したいと思います。


■多角化戦略

企業は、まず何か一つの事業から始まるわけですが、
どうしても、他の競争企業が出てきたり、
その事業自体の製品の需要が減ったりして、
衰退することがあるので、新しい事業に
進出しなければなりません。
これを多角化戦略といいます。
そこで一番大事なことは、最初始めたことと
関連することで多角化しなければならないということです。
例えば、ものを作っていたのに
ホテル運営を始めるなど、
全然関係のない事業に手を出すと、
失敗してしまうことが多くあります。

私は久留米の生まれなのですが、
家のすぐ近くに、「ブリヂストンタイヤ」
という会社がありました。
その会社は、昔は、足袋屋さんをしていました。
会社には、石橋正二郎さんという創業者がいて、
私の小学校の大先輩にあたる人で、
私が小学生の頃お会いしたことがあります。
そのブリヂストンタイヤの多角化が、
非常に面白いので、今回、皆さんにご紹介したいと思います。


■多角化のきっかけ

1906年、石橋正二郎さんは、
家が仕立て物屋をしていたので、
久留米の商業学校を出た後、
そこで足袋を作っていました。
足袋屋さんを大きくしていますから、
戦前も、かなり手広くやっていたようです。
この会社の成長のきっかけになったのは、
地下足袋でした。
当時、九州には炭鉱が多くあり、
久留米では軍隊が強く、
そこで使う足袋の底にゴムを付けて、
足を怪我さないようにしたものが地下足袋です。
地下足袋を作る際に、
どうやってゴムをきれいに足袋に付けるか
という接着技術が、足袋屋さんから、次のタイヤに移る、
多角化の一番大きなきっかけになりました。
第一次世界大戦の後(1921年頃)に、
久留米にドイツ人が捕虜で来ていて、
その人たちが、この接着技術を持って来ていたそうです。
石橋さんは、これに目を付けて、
ゴムと布をくっつける技術を学んだそうです。


■モダンな石橋正二郎

石橋さんは、1908年頃から、
自分の足袋の宣伝用に自動車を、
九州で初めて使ったくらい、自動車について、
非常に興味があったようです。
当時、自動車は、たくさんありませんでしたので、
最初のタイヤは、リヤカーのタイヤなどでしたが、
1930年に、タイヤを自力で開発したそうです。
石橋さんは、非常に早い時期に、
タイヤに目を付けたわけです。
そして、1931年に、ブリヂストンタイヤ
という会社を設立しました。
皆さんご承知の通り、石橋を英語で言うと、
「ストーン・ブリッヂ(stone bridge)」です。
しかし、ストーン・ブリッヂでは、
語呂があまり良くないので、世界を見渡したところ、
当時アメリカでファイアストーンという
有名なタイヤ会社があることを見つけ、
「ブリッヂ・ストーン」という会社名を決めたそうです。
そのような経緯で、タイヤ会社を作り、
その後、戦前にゴルフボールの生産も始めました。

1930年代に、生産を始めた時は、
ゴルフボールは一般的ではありませんでした。
石橋正二郎さんというのは、実にモダンな人で、
誰よりも最初に自動車に興味を持ち、
また、ゴルフにも興味を持ったそうです。
そのような彼だからこそ、我々に
一番大きなものを残してくれたのではないかと思います。
つまり、彼だからこそ、
多角化で儲かったお金で、美術品を買い始め、
後に美術館を開いたのではないかと思うのです。


■石橋美術館のコレクション

今、久留米の石橋美術館では、
石橋正二郎生誕120年展が開催されていて、
石橋正二郎さんが、1930年頃から、
彼が亡くなるまでに集めた、
素晴らしい美術品が展示されています。
最初、1930年頃から、石橋さんは
美術品のコレクションを始めたのですが、
実は、久留米の同じ小学校出身に、
青木繁という有名な日本の画家がいて、
それから隣の京町小学校に
坂本繁二郎という画家がいました。
この坂本繁二郎が、もう既に亡くなっていた
青木繁の作品が散逸するのを防ぐために、
何とか石橋さんに買って欲しいとお願いしたそうです。
それで、まず、青木繁の作品から、
コレクションが始まりました。
先程の地下足袋と一緒で、
最初は、日本の足袋から始まって、
それから欧米のタイヤに進むのと同じように、
コレクションも、
最初は、地元の青木繁、坂本繁二郎から始まり、
次に東京の有名な洋画家藤島武二と1938年に出会い、
藤島氏の作品のほとんどを買い上げました。
藤島氏の作品は、
今の石橋美術館に相当数あります。
それをベースにして、今度は日本の有名な洋画家で、
当時パリにいた、藤田嗣治とか佐伯祐三を
コレクションに入れて、そこから、今度は、
欧米のフランスの印象派の収集に至ったわけです。

皆さんすぐ近くの久留米の石橋美術館に行くと、
セザンヌ、マネ、モネ、ルノアールなどの
素晴らしい、石橋さんが集めた絵が
すぐ目の前で見ることができるのです。
幸いに、石橋美術館はそんなに混んではいないので、
ゆっくり名画を見ることができます。


■昔の創業者に学ぶべきこと

石橋さんは、会社を成長させようということで、
自分のコアビジネスをベースにして、
足袋からタイヤへ多角化してきました。
その過程で、儲かったお金を、
この世の中の人々の楽しみと幸福のために
使おうと考え、美術館に投資したのです。
この久留米の石橋美術館は、
戦後の日本が非常に貧しい時、1956年にできました。
そして、ほぼ同時期に、
東京駅前のブリヂストン美術館が、
1952年に作られました。
戦後すぐ、お金のない時代に、
これは非常に驚くべきことでした。
今考えると、この当時の創業者は、
非常に世のため、人のため、
ということと事業を多角化するということを
並行させていたのではないかと思います。
このあたりを、我々はしっかり学ぶべきだと思います。
この九州、福岡に住んでいる人は、
石橋美術館を訪ねることで、
その経緯を目の当たりにすることができます。
このブログをご覧の皆さんにも、
ぜひ石橋美術館を訪ねていただきたいと思っております。

分野: 久原正治教授 |スピーカー:

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