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QT PROモーニングビジネススクール > 過去の記事一覧 > アメリカのベンチャー小史~シリコンバレー(ベンチャー企業/五十嵐)

アメリカのベンチャー小史~シリコンバレー(ベンチャー企業/五十嵐)

07/05/30

今日は、ベンチャーのメッカである、
シリコンバレーについて話します。

■シリコンバレー
サンフランシスコから南に向かって、
カルフォルニア湾が切れ込んでおり、
そのカルフォルニア湾沿いにルート101
(ワン・オー・ワン)という
フリーウェイが走っています。
101から山を越えてたところにルート280
(トゥー・エイティ)が走っています。
カリフォルニア湾の対岸から、
ルート101と280が交わる
サンノゼまでの地域一体を
一般にシリコンバレーと総称するのであって、
「シリコンバレー」という名前の町はありません。

このシリコンバレーは、
正にハイテクベンチャーの聖地であり、
世界最大の半導体メーカーであるインテルや、
現在はi-Podで有名なAppleや、
検索システムのgoogleなどの
本社が集積しています。

■フロンティアスピリット
シリコンバレーの起源を尋ねると、
多くの場合、
ゴールドラッシュが口に出ます。
1848年頃、カルフォルニアには金が出て、
誰でもお金持ちになれると
いう話が伝わって、
ゴールドラッシュが生まれました。
それで、アメリカ東部から西部へと
フロンティア・スピリットを持った人々が
こぞって、移住を開始しました。
サンフランシスコを本拠地とする
有名なアメリカンフットボールのチーム名
「49ners」は、
このゴールドラッシュに由来しています。

■スタンフォード大学
現在のシリコンバレーが
形成された歴史の中で、
中心的な存在となったのは、
スタンフォード大学です。
スタンフォード大学というのは、
鉄道王のリーランド・スタンフォードが、
15歳で亡くなった息子の
夢を叶えるために、
1891年に設立したものです。
これがシリコンバレーの
発展の礎になりました。

■ヒューレット・パッカードの誕生
1900年代に入り、
様々な企業が近郊に誘致され始めます。
この中で、1938年に
ヒューレット・パッカードが設立されました。
これは、シリコンバレー発展の
一つエピソードとして語り継がれています。
ヒューレット・パッカード(HP)の
設立のきっかけを作ったのは
スタンフォード大学の教授である、
フレデリク・ターマンです。
彼は工学部長から後に
総長になった人物ですが、
彼がシリコンバレーの
中興の祖であったと言えます。

ヒューレットとパッカードの2人は
スタンフォード大学のOBです。
在学中はパッカードの方が成績が良く、
成績のあまり良くなかったヒューレットの方が
フィードバック発振器を発明しました。

そして、彼らが、
ターマンの所に相談に行ったところ、
大企業などに持っていかずに、
会社を設立し、
自分たちで事業化に乗り出すことを
盛んに勧めます。
そればかりか、ターマンは、
ポケットマネーから
設立資金538ドルを
ヒューレットとパッカードに出資を行い、
これが元で、二人は
電子計測器メーカーを起業しました。
HPは、今や、世界トップ5に入る
IT関連の企業になっているわけですが、
ターマンがいなかったら
HPは出来ていなかったということになります。

■スタンフォードサイエンスパークの設立
1950年代に入ると、
スタンフォード大学に
サイエンスパーク(工業団地)が
作られました。

スタンフォード大学は、
スタートした時から
一流大学だったかというと、
地方の名もない大学で、
せっかくスタンフォード大学
を卒業しても、卒業生の多くは、
東海岸の大きな会社にいってしまいました。
そこでターマンは、
せっかく優秀な学生を育成しても、
東海岸に持って行かれるのは
地域の損失であると考え、
地元に就職する受け皿を
作りたいという思いから、
サイエンスパークの設立を
提案しました。

サイエンスパークの作られた場所は、
スタンフォード大学の隣接する
果樹園だったのですが、
スタンフォードは「売却不可」を
遺言として残していたので、
工業団地を造成しても、
売り切りではなく
貸し出しの形態となりました。

このサイエンスパークには、
当初、バリアントやロッキードなど、
大手企業の研究所や工場も
積極的に誘致を行いました。
ターマンは、HPに対しても、
サイエンスパークへの
本社移転を強く勧めました。
それとともに、
ターマンの来訪者に対しては
サイエンスパークHP訪問を勧め、
反対にHPの来訪者には、
スタンフォード大学の
ターマンを訪ねることを
勧めるということが
相互に頻繁に行われました。
こうした関係から、
スタンフォード大学と
ハイテクベンチャー企業との
結びつきが自然と
形作られて行きました。

■半導体の誕生
話は変わりますが、
トランジスタの発明者として
著名なノーベル物理学賞受賞者
ウィリアム・ショックレーを
西海岸に招聘し、
ショックレー研究所と
半導体の研究所も設立(1955年)したのも、
これもターマンの功績です。

この、ショックレーは、
書物等で有名な話になっており
ご存知の方も多いかも知れませんが、
非常に変わった人物であったようです。
研究は非常に出来るのですが、
ビジネスには向いていなかったようです。
優秀な若手研究者が
ショックレーの名声を慕って、
こぞってショックレー研究所の
門戸を敲きました。
しかし、一緒に働いてみるショックレーとは
一緒にやっていけないということになり、
優秀な若者8人が飛び出してしまいます。

飛び出した若者は、フェアチャイルドという
カメラメーカーの支援を受けて、
フェアチャイルドセミコンダクターという
会社に参加します。
ところがこの
フェアチャイルドセミコンダクターは、
東部の会社で、
東部のカルチャーが合わなかった、
彼らは、2回目の転職を行います。

ショックレーはこの8人を
「8人のユダ(裏切り者)」と呼び、
8人のうち、2人は、
インテルをスタートさせ、
他の1人がAMD、
もう一人はザイリンクスという
半導体の会社をスタートさせました。
このように、
半導体産業の黎明期に
フェアチャイルドに在籍した研究者は、
次々とフェアチャイルドを離れて
半導体関連のベンチャーを
数多く設立しました。
これらの「フェアチルドレン(フェアチャイルドの子供たち)」
と称される企業群が
半導体産業の成長に大きく貢献して、、、
結局、この一体が
「シリコンバレー」と
呼ばれるに至った所以です。

■もう一つのエポックメーキング~APPLEの誕生
1977年に2人のスティーブ
(スティーブ・ジョブスとスティーブ・ウォズニアック)が、
APPLEを立ち上げます。
彼ら二人は、当時のヒッピー文化の
代表選手みたいな井出達で、
長髪に髭面、Tシャツにジーンズ姿。
このような容貌の彼らが、
瞬く間にAPPLEを
一大コンピュータメーカーに
成長させていましました。

米国の研究者から言われたことですが、
かのシリコンバレーであってさえ、
それまでは、
両親が自分の子供の就職の進路に
大企業を進めたものでしたが、
APPLEの誕生と成功により、
「2人のスティーブを見習うように」が
半ば常識となり、
1940年代のフロンティアスピリットに
現代的な意味合いが付与されました。
まさにAPPLEが、
シリコンバレーの文化を
創ったと言えるかも知れません。

■シリコンバレーの特徴と魅力
アメリカと言われると、
白色人に国かなと古くは思われてきました。
ところが、シリコンバレーの人口の
40%近くが外国人で、
特に多いのは中国系とインド系です。
シリコンバレーで「IC(集積回路)」とは
インド人と中国人のことだ
などとよく笑い話が引き合いに出されます。
人種別人口構成比では、
全体に占める白人の割合が年々低下し、
アジア系、ヒスパニック系が増加し、
アフリカ系は横ばいという状況です。
ところでシリコンバレーの雇用コストは
非常に高いです。
普通のエンジニアを雇うのにも
年収1000万円ではなかなか雇えません。
レベルの高いエンジニアを雇うには
1500万円以上かかります。
しかし、銀行の窓口係などのような
一般職種の給料は安く、
300万円くらいで十分雇えます。
このように、日本とは異なり、
技術や経験が評価される社会です。

■カリフォルニアの青い空
技術信奉や
フロンティアスピリットに加えて、
絶対忘れて行けないものがあります。
日本からシリコンバレーに
移った友人たちに尋ねたところ、
どうしてシリコンバレーに
移ったかという質問に対する
彼らの答えは一様です。

いろいろ嫌なことも当然ある。
しかし、一歩、屋外に出ると、
雲も1つ無い真っ青な空が広がっています。
この空を見ると、嫌なことはすべて忘れて、
また、最初から頑張る気持ちになれる。
もしかすると、この青い空が、
シリコンバレーの
一番の魅力なのかも知れません。

分野: 五十嵐伸吾准教授 |スピーカー:

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